韓国雑感

今年のヒット商品番付の東の横綱は「冬のソナタ」と韓流関連商品だったという。
(東の大関は「世界の中心で、愛をさけぶ」 純愛の時代なんだねえ)


例によって「冬のソナタ」を見たことはない。今さら見るつもりもない。
ヨン様ってのがどこに魅力があるのかもよくわからない。
つんくをかっこよくしたような人、ぐらいの印象しかない。


どういう話なのかすらわかってないので適当なコトを書いてしまうが、
まあたぶんかなりベタなストーリーなのだと思う。
ベタを力技でごり押し。これでもか、これでもか、と浪花節
でもこれって悪いことでもなんでもなくて結局みんなベタなものが好きなんだよね。
日本人に限らず、地球上のどこの国の人もそうなのではないか。
ただそれを、表立って自分のキャラとして認める人と、
ひたすら隠して自分1人のときにこっそり楽しむ人との
2種類の人間がいるだけの違いなのだと思う。


僕だって好きなわけですよ。泣ける話とか特に。
「泣ける」映画を借りてきて1人で見てると部屋でうっすらと涙を滲ませてる。
(でも、人前では冷静になって「殻」を作ってしまうので泣いたりはしない。
 映画館は周りが暗いので涙を流すことを自分に許す)


「感動」と「泣く」は違う。微妙に範囲が異なる。
でもどっちもいいもんですね。
感動して泣きたいもんです。できれば私生活で。映画じゃなくて。

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ここまで書いてきて気になったのだが、
どうして僕は人前で感情を表明したくないのだろう。
クールな人、と呼ばれることがある。
(いい意味のクールではなく、あまりよろしくない方のクールかもしれない)
クールじゃなくて、コールド、と呼ばれたこともある。
友人が僕を評した名言にこんなのがある。今でも忘れられず覚えている。
「岡ちゃんはスピリットとソウルには満ち溢れてるけど、ハートはないね」
あーそうかもな、と当時から10年以上立った今でも自分のことをそう思う。


これは僕が冷酷無慈悲な人間で
気に入らなければ犬猫の殺害もいとわないということではなくて、
感情を外に出すのが下手というか
感情を外に出すことにあんまり興味がないからなのだろう。


でもそれがなぜなのかは自分でもよく分からない。
その方がかっこいいとティーンエイジャーの僕が思ったのかもしれないし、
もっと小さな頃の閉じこもりがちな子供だったことの名残なのかもしれない。
僕の笑い方は、ひどくぎこちない。
(多くの人が自分のことをそう思ってるかも)


なんなのだろうな。

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話はまた変わる。


僕の職場では「冬のソナタ」が表立って話題となったことがないように感じられる。
(とはいえ、Yahoo メッセンジャーのようなもので絶えず隠れて話題になっていたとは思われる)
そのため「韓流関連商品」と言われても僕にはピンと来ない。


スーパーやコンビニで買えるキムチの種類が増えて
韓国ノリがどこでも手に入るようになったぐらい?
後は韓国発のアイドルユニットやポップグループの話題をちょっと耳にした程度か。


今から10何年か前、僕が中学生だったときだから80年代後半か、
あるとき突然韓国がテレビでも話題に上るようになり
身近な国として感じられるようになったという印象がある。
詳しいことは何も分からないんだけど、政治情勢とかの影響なんかがあるのかもしれない。
あるいはこの頃から韓国が日本に対して積極的に観光キャンペーンを行うようになったとか。
それとももしかしたら僕が中学の地理の授業で韓国の位置関係を習って、
そこからこの国のことを意識しだしただけなのかもしれない。


そのとき以来韓国って定期的にブームになっているように僕には思えていて
僕が中学生の時に感じたほどのインパクトは今回の流行には感じられない。
年をとって鈍くなっただけなのかな。


ワールドカップの時の方がよほど韓国ブームだったように思えるのだが。
どこの世代の人が中心となったかによって、世の中でのインパクトの大きさが変わるってことか。

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それにしても韓国行って焼肉食べたい。
なんなら1泊2日はおろか日帰りぐらいの勢いで。


いつもいつも周りの人とそういう話をしているのだが、実現に至ったことがない。