広島東洋カープ

広島から帰ってきて数日。
妻とよく話すのが、広島東洋カープの圧倒的な存在感。
マツダスタジアムで試合のあった日は
駅や町にユニフォームを着て応援グッズを手にした老若男女のファンを見かけた。
実際のところ、さほど人数が多かったわけではない。
しかし一人一人の熱気というか鼻息の荒さというか、周りに溢れ出すものが多くて、
10倍にも20倍にも感じる。
一年に一度のお祭りが今から始まる、というような。
 
しかも優勝がかかってるとかではなくて、
首位巨人からは5ゲーム近く引き離されて優勝は絶望的。
なのになんでこんな熱いのか。
マツダスタジアムの入場券はプレミアムチケットで地元の人でも全然取れないと聞いた。
観光客がフラッと暇に任せて見に行くものではなかった。
 
これが名古屋だと中日ドラゴンズに対してそんな印象はない。
ユニフォームを着た若い女性が駅の中を賑やかに闊歩しているとか。
僕が訪れる時期がよくなく、たまたまかな。
もちろん神宮に行けばヤクルトのユニフォームを着た熱狂的な女性がいて、
千葉マリンに行けば同様にロッテな女子がいる。
残念ながら阪神の試合のある時に甲子園界隈を訪れたことはない。
 
こんだけファンが声援を送っていたらそりゃカープは強いよな、と実感した。
いつからこういう状態なのかはわからない。
3連覇の始まった2016年には既にこの状態で、
その数年前から徐々に盛り上がっていったのかな。
 
一頃より贔屓のスポーツチームへの思い入れというものが強くなったように思う。
地域の絆の薄れていく今、趣味・関心のコミュニティの方に
人はよりつながりを求めるようになったのか。
しかもそれは基本、誰でも受け入れてくれる。
普段はゆるい集団でありながら、
ひとたびスタジアムやスポーツバーに集まると
応援という行為を通じて局所的にひとつにまとまる。
アメーバのような有機体を思わせる。
その中でも広島ファンは今、最も強力な生命体。
自分一人だけだとちっぽけな存在だが、仲間とひとつになったとき大きく、強くなれる。
そういう感覚があるのだろう。
 
それにしても今年のヤクルトはルーキー村上の活躍もありつつも投壊で断トツ最下位。
神宮に見に行かなかったな…
畠山も引退か…
気が付くとペナントレースも終わっている。
来年こそはちゃんとヤクルトを応援しなければ。

広島へ その5

(3日目、16日のこと)
 
前の晩寝たのが遅くて、目が覚めると8時前。
本当は6時起きで大浴場に行って、7時には朝食バイキング、
8時前にチェックアウトして原爆ドームと平和記念資料館を見に行くつもりでいた。
東京に戻る新幹線は11時。
 
昨晩買った服を着るので、妻が鋏を借りてきて欲しいという。
14階のラウンジに行くと朝食バイキング待ちの人たちがソファーに座り切れず溢れている。
その30分後ぐらいに妻と向かうとそれほど待たずに入ることができた。
メニューが昨日と違ってて、また腹いっぱい食べてしまう…
鶏肉とキノコの白味噌のクリーム煮であるとか。
さすがにこの日はシャンパンは飲まず。
 
食べ終えて部屋に戻ってテレビの画面からチェックアウト。
ルームキー代わりのカードを部屋に置いていく。
インターゲートホテルはこういうところもまた進化している。
9時過ぎ。せっかくだから原爆ドームは見て行こうとタクシーを捕まえる。
昨日買って飲まなかったカップの氷や
ラウンジでテイクアウトしたホットコーヒーを両手に持って乗る。
 
八丁堀駅の交差点にすぐ出ることはなく裏通りをしばらく進んで路面電車の通りへ。
ホテルからは3ブロックほどなのですぐ着いた。
原爆ドームの前には大勢の外国人観光客が集まっていて、英語のガイドを聞いていた。
ドームを前にして自撮りで記念撮影をする人たちもいた。
アメリカ人なのだろう、車椅子の老人がゆっくりと押されていた。
この日もまた日差しが強かった。
8月6日の暑さはこんなものではないだろう、容赦なかっただろうということを思う。
無言で、内側を支えで補強されて、原爆ドームが立っている。
 
原爆の子の像、平和の鐘、今も世界中から届く様々な色の折り鶴たち、
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と掘られた慰霊碑。
時間はまだあると平和記念資料館にも入った。
こちらもやはり外国人観光客が多かった。
原爆投下前の広島の街並み、小学校で撮影されたクラスの集合写真、その無邪気な笑顔が切なかった。
投下直後の広島、地獄絵図となった広島、生き延びた後もまた地獄となった広島。
記録写真と、無名の方たちの描いた絵画と。
キノコ雲を遠くに写した写真の端の方にあれはなんだろうと眺めている人たちがいる。
川に浮かんだ女学生の遺体、少しずつ体の形を失っていくのを毎日スケッチした人がいる。
父親が働けなくなって、周りからも白い眼で見られ、バラバラになった一家。
バスの入り口に黒焦げとなっていた遺体、その側に転がっていた幼児の死体。
肌のめくれて、血のにじむ傷だらけとなって、それでもまだ生きている人たち。
残された記録はごくわずかで、この地上に放たれた痛みのほんの僅かさえも掬い取ることができずにいる。
語り部として活動されてきた方たちも高齢となった。
僕らが小学生、中学生だった1980年代と今の若者たちでは受け取り方も違うだろう。
10時を過ぎて外国人観光客が増えた。
広島に原爆投下されてからの日数と、最後の核実験からの日数をカウントした時計が隅の方に立っていた。
 
タクシーに乗って広島駅へ。
カープのユニフォームを着た老若男女が大勢いた。
こんな時間から? と妻が調べてみたら14時からヤクルトと試合だった。
柿の種ならぬ勝ちの種などお土産屋もカープインパクトが強い。
強いきずなで市民と一体となった球団。広島の人がうらやましく思えた。
お土産を買う。僕も「レモスコ」に唐辛子の入ったカープ版を買った。
他、牡蠣醤油や広島限定で牡蠣エキスの入ったオタフクソースなど。
朝食バイキングでまだまだ腹は減らず、駅弁の類は買わず。
缶ビール・缶チューハイも飲まず。
家に帰って飲みながら食べようとホルモン天ぷらや練り物の店でがんすを買った。
 
新幹線は広島始発。
最初のうちはスカスカだったのが新大阪で9割方埋まった。
名古屋を過ぎた辺りから晴れていたのが雲が出始めて、東京に近づいた頃にはどんよりと曇り。
東京は一昨日は寒かったのがこの日は少し蒸し暑い。
昨日軽く日焼けして腕が真っ赤だったのが、既に元の色に戻っている。
 
新宿で大江戸線に乗って帰ってくる。
駅を出ると地面が濡れている。雨が降ったようだ。
家に着くとみみたがお出迎え。お留守番ありがとう。
荷物を片付けて、iPhoneで撮った写真をPCに取り込んで、
妻の運転する車でライフに買い物へ。
明日の弁当のため、きんぴらごぼうをつくる。
3連休も終わり。次の3連休が待ち遠しい。

広島へ その4

(15日の続き)
 
朝がインターゲートホテルの朝食バイキングでたくさん食べていたので腹が減らず。
15時前、ビールを飲んで休憩しようと宮島ビールのブルワリーへ。
サイトを見てみると蒸し牡蠣や牡蠣フライなど牡蠣メニューが充実していた。
厳島神社の前を通りがかると干潮で濡れた地面が広がって鳥居まで続いている。
こんなにも風景が変わってしまうものなのか。
行列がさほど長くなかったので入ることにした。
朱塗りの社殿のウネウネと連なる回廊を歩く。
途中円形の泉から清水が湧き出ていて、それが海辺まで小さな流れとなって続いていた。
工事現場の覆いで包まれた鳥居の前を家族連れが思い思いに歩いていて、
鳥居がステージのセットのように見えて雨の後のロックフェスのようだった。
足元の水で濡れた地面はよく見ると無数のやどかりがいた。
 
ようやくブルワリーに着いて生ビールを、というつもりが「CLOSE」の看板が。
昼の営業が終わっていた。
しかし1階のスタンドでは営業していて、牡蠣フライをつまみに
ヴァイツェンオイスタースタウト、広島レッドエール、セゾン・ドゥ・ソービニヨン
という4つを飲み比べてみた。
どれもおいしかったけど牡蠣の風味を生かしたというオイスタースタウトがおいしかったかな。
 
土産物屋の並ぶアーケードの通りをくぐり抜けて桟橋へ。
宮島のある廿日市市TOTOが共同で運営しているおもてなしトイレがあった。
名物のねじり天を店先で売っているところがあって、
蛸天だったかな、妻が買ってくれたので食べながら歩いた。
この店には有名人の色紙や非売品のカープグッズがたくさん飾られていた。
 
宮島口に戻るフェリーは3階の展望デッキには行かず、2階の客席で。
皆同じことを考えるのか満席。ウトウトしながら過ごした。
帰りは広島電鉄路面電車ではなく、JRで。
それまで空いていた社内がここでどっと乗り込む。
僕らは席を見つけて座ることができたが、ほとんどの人は立ったまま広島駅まで。
30分ぐらいで着いただろうか。すぐだった。
 
妻が明日着るものを買うというので駅ビルの中の店を覗いてみるが、
30℃越えの日が続いているというのにどの店もすっかり秋ものばかりだった。
路面電車に乗って八丁堀へ。一度ホテルに戻る。17時半。
インターゲートホテルはラウンジでの時間帯別のサービスが充実していて、
17時から19時までハッピーアワー。ワインとオリジナルカクテルが提供されている。
白ワインをグラスで飲んで、カクテルはレモンのリキュールでつくったもの。
またテラスに出て楽しんだ。
 
この夜も繁華街に繰り出して飲む。
妻が見つけて電話で予約した牡蠣小屋系の店を探す。
途中パルコに寄って妻が夏物の服を買う。
牡蠣の店はその裏手にあった。
残念ながら名物だという「牡蠣のガンガン焼き」は売り切れ。
隣りの女性客たちが食べていたのが最後。
見ると四角い缶の中に焼いた牡蠣がぎっしり。
しかしここで牡蠣の塩こうじ漬けや塩辛といった珍しいものを食べることができた。
広島名物の「がんす」という揚げかまぼこも。
僕は瀬戸田レモンチューハイを飲み、妻は呉の「雨後の月」などを。
 
もう一軒入ろうと、昨晩のバルのあった通りへ。
やたら賑わっている魚系の居酒屋を見つけて入る。
ロープウエーを上った先で瀬戸内海を見下ろした時美味得た大黒神島の
牡蠣のブランド「先端」の生ガキを。
その他、地穴子炙り刺しや陶板焼きっぽい器に入った和風のアヒージョを。
僕は牡蠣を焼いたのが入った牡蠣酒を、妻は「美和桜」を飲んだ。
帰ってきて22時を過ぎていただろうか。飲みすぎた…
この日もまたインターゲートのお茶漬けバイキングを。
京都のインターゲートホテルでは「ぶぶ漬けバイキング」という名前になっていた。

広島へ その3

(15日の続き)
 
厳島神社まで歩いていく途中で観光客向けの遊覧船が客引きをしていて、
その先でまた別の「魯櫂舟」というのが声をかけてきた。
見ると細長い舟の上で乗客は笠をかぶって、舳先にいた船頭がガイドをして
後方の若者が長い魯で漕いで海の上をのんびりと進んでいた。
鳥居まで行って戻って来て、20分で1,000円だという。乗ってみることにした。
 
で、その鳥居はと言うと見えない。
客引きのお兄さん曰く、鳥居は今修理工事の前の状況確認中なのだという。
フェリーから見えた銀色のパビリオンみたいなもの、あれが鳥居だったのか!
昨日の広島駅の観光案内所ではそんなの聞かなかったし、
フェリーの中のテープの案内にもそんな話はなかった。
せっかくここまで見に来たのに…
お兄さんが言うには、どれほど鳥居が痛んでいるか調査してみないことには
工期がどれぐらいになるかわからず、何年先になるかまだわからないとのこと。
いつもだとこの舟も行列になっているのに今は客引きをしないと乗ってくれない。
 
戻ってきた舟に乗り、笠をかぶる。
色黒の船頭さんが小さなマイクを持って話し出す。
若者が魯を漕いで少しずつ少しずつ岸から離れていく。
パドリングをしている人たちがカヌーに乗って通り過ぎていく。
何年にこの神社や鳥居ができたのか歴史の話をした後でやはり修理のことに。
そもそも工事が始まる前の正月やゴールデンウィークの混み具合はこんなものじゃなかったと。
今日も厳島神社に入るには行列ができているけど、
ゴールデンウイークにはそれが桟橋まで伸びていて3時間待ち。気が遠くなる。
 
海側から鳥居に近づく。今は足場が組まれ、
銀色のきめ細かい格子のようなもので全体が囲まれている。正に建設現場。
鳥居の朱色も塗り直す。今は相当くすんで柿のような色になっている。
厳島神社に近づいて反対側から鳥居を見る。
ここでお参り。船頭さんがそれぞれのグループの写真を撮ってくれる。
もう2時間もしないうちに干潮になって、この舟も通れなくなる。
14時半には干上がって歩いて鳥居の近くまで近づけると。
岸に戻る間に宮島の生活の話になって、小学校・中学校は生徒が減って今100人ほど。
来週は島をあげての運動会だという。
 
舟を下りて厳島神社まで歩いていくと確かに行列。
この暑いのにかなわん、さっき舟の上でお参りしたから入るのはいいか、となる。
その手前、階段を上ったところにある豊国神社に行ってみることにする。
豊臣秀吉が建立を命じたかその途中で亡くなって未完成のまま。
千畳敷のお堂に足を踏み入れると心なしか涼しかった。
柱にもたれ座っていると風が吹き抜ける。しばらくここで休むことにした。
忙しい日常生活では忘れていた感覚。とても居心地よかった。
梁の上には虎や馬を描いた何百年にもなる古びた額が飾られていた。
そのうちのひとつには囲碁の盤面が。
20年ほど前のJR西日本主催の大会の結果を記した新しいものもあった。
後で聞くとここは囲碁の聖地のひとつなのだと。
 
豊国神社を出て12時過ぎ。
路面電車の宮島ロープウェーの広告があって混む日には予約が必須とあった。
サイトを見てみるとこの日がまさに混雑日。
せっかくだから乗ってみるかと iPhone から予約した。
それが13時からであと1時間ある。
乗り場は島中心部の山を上った途中の紅葉谷公園の中にある。
ゆっくりと向かうことにした。
途中見かけたおしゃれなカフェでみかんの入ったハイボールを買って飲んだ。
甘味処などの並ぶ通りを歩いていくうちにいつの間にか木々に囲まれた遊歩道へ。
小川が流れていて、ごつごつした岩の間を澄んだ水が流れている。
開けた場所にはベンチや東屋があって老若男女が木陰で休んでいた。
ロープウエー乗り場の入り口までは10分もかからなくて、
13時になるまでの間は小川の浅瀬の中に入って過ごした。
冷たい水で顔を洗うと気持ちよかった。
 
ロープウエー乗り場へ。係の方に予約した時のQRコードを見せる。
半分以上外国人の観光客だった。切符を買う。往復1,800円。
階段を上ってホームへ。
暑い日でところどころ配置された扇風機や送風機がフル稼働していた。
最初に乗ったのはスキー場のゴンドラのような8人乗りの小さなもの。
これがグルグルとたくさん回っている。
乗り込むと特にテープの案内などはなく、
窓が頑丈な網戸で覆われているものの中は蒸し暑い。
しかし山をどんどん上っていくうちに
瀬戸内海が視界に広がっていくのを見下ろすのはは気分がよかった。
7・8分ぐらい乗っただろうか。
 
途中の駅で降りて今度は30人乗りの本格的なロープウェー。
瀬戸内海の小さな島々が点々と散らばっている。
これは2・3分もかからなかったか。
終点の駅でロープウエーを出ると
帰りの方に乗るのを待っている人たちの行列がとんでもなく伸びていて、
これはもしかして1時間ぐらい待つんじゃないかと。
展望台を少し見たらすぐ引き返すことにした。
 
9月も半ばだというのにまだ蝉が無数に鳴いていた。
マムシに注意という掲示があちこちにあった。
この駅は山頂にあるのではなく、
弥山という名のてっぺんは絶景とはされるものの
そこから先に片道30分の山道を行く。
さすがにこの陽射しの強い日に短パン・サンダルでは無理。
展望台から瀬戸内海の島々を眺める。
それぞれの島に向けた展望用の鉄の筒のようなものが設置されていて、
レンズは無いものの覗くとその島が真っすぐ見えるようになっている。
大黒上島、小黒上島、大奈佐美島…
なぜか四国に向けられた筒はふさがれていた。
 
覚悟して下りの乗り場に向かうと待ちの行列がはけていてすぐ乗ることができた。
遊歩道をまた歩いて厳島神社の方へと向かう。
14時過ぎ。妻が友人から勧められた大聖院というお寺に行ってみる。
外れの方にあって家並みも鄙びている。石垣の上に築かれた町屋であるとか。
しめ縄を飾った家が多かった。左側が垂れ下がっている独特な形をしていた。
仁王像を両脇に従えた門をくぐると
大聖院は広い敷地の中に太子堂、摩尼殿、遍照窟とありつつも
動画を見ることのできるQRコードを記したカードを配っていたり、
アンパンマンのお地蔵さんがあったりと聖俗兼ね備えた不思議なお寺さんだった。

広島へ その2

昨晩は野球中継かなにかで開始の遅れたお笑い向上委員会を。
ナダルにトム・ブラウン布川とかなり壊れていた。
その後、かまいたちジャルジャル、アキナの出てたなんかの番組。
結婚式場のプランナーの困った客。
式の予定もないのに妄想で話を進める新婦とか
結婚式の直後にプランナーを口説く新郎とか
2日前に結婚式をドタキャンして出席者に伝えてないとか
他の式場の見積を見せられて高い部分の説明をイチイチ求めるとか。
 
1時半には寝たか。
ぐっすり眠れず何度も目を覚ます。
冷房をつけていても暑くて布団から出ていたら、明け方今度は寒い。
6時半に起きて大浴場へ。
他に入ってる人は少なく、ゆっくり湯船で温まる。
 
今日はマラソン・グランド・チャンピオンシップのためか
テレビをつけたらマラソンシューズのメーカー。
「作り手一瞬、選手一生」という標語が壁に貼ってあった。
 
朝食バイキングのため14Fのラウンジへ。
事前にホテルのサイトを見ててびびった。秋のメニュー。
もはやビジネス歩テスの域ではない。一例として
「秋茄子とトマトのモッツァレラチーズインサラータ」
「茸と薩摩芋、林檎の秋サラダ」
「茸と鶏肉の白味噌クリーム煮」
「車麩とじゃがいものジンジャー、ターメリックの蒸し煮」
「カリフラワーと車麩、椎茸のカチャトーラ風トマト煮」
実際にはこれらのメニュー全て出てくるわけではなかったけど、
どれもおいしそうで目移りがして食べきれないぐらいだった。
シャンパンも飲んだ。
インターゲートはBSも無料だしすごいな…
 
妻の友人によると以前泊った広島の他のホテルも
最上階にエントランスとラウンジがあったという。
ラウンジからそのホテルが見えた。
確かに最上階を大勢の人が出入りしている。
最近広島で流行りなのか。
 
食後のコーヒーはテラスに出て飲んだ。
ソファーが空いていたので寝そべった。風が心地よい。
何もしないでこのホテルで一日過ごすのもいいな、と思う。
 
2泊することになっていたのでホテルの部屋に荷物を置いて外に出る。
宮島に行って厳島神社を訪れることになっていた。
調べてみると路面電車広島電鉄の最寄りの駅から宮島まで直通の路線がある。
八丁堀駅へ。土地勘がなかったので最初は間違えて
反対方向の広島駅方面のホームに行ってしまった。
信号が青になるのを待ち、横断歩道を渡って反対側へ。
2両編成の広電宮島口行きに乗った。
 
20以上駅があっただろうか。
しばらくの間は広島市の中心部をワンブロックごとに停車して原爆ドーム前を通過する。
そのうちに郊外の町を走るようになって停車駅の間隔が広がった。
西広島駅に出るとそこから先はJRと並行した。
もちろんJRの列車があっという間に追い越していく。
この路面電車は市民の足なのかな、乗り降りの入れ替わりが激しくて途中で座れるだろう、
と思っていたらそんなことはなく、
結局ほとんどの客がガイドブックを広げていてそのまま宮島まで乗って行った。
終点宮島口の手前がボートレース場になっていて、臨時停車した。わずかに数人が下りて行った。
 
改札を出るとすぐフェリー乗り場。
JRともう一社が宮島松大汽船というところが運航していて、今回は後者に乗ってみた。
片道180円。目の前に宮島が広がっていて10分ほどで到着する。
僕と妻は3階の展望デッキの席にした。
家族連れの旅行客ばかりで満席。
隣りを走るJRのフェリーと何度もすれ違う。
3連休の中日。晴れ。臨時便が何本も出ていたのだろう。
 
10時半過ぎ。
宮島口の乗り場は別々だったのに、宮島桟橋側は共同の建物だった。
観光案内所で島の地図をもらい、外へ。
日本人であれ外国人であれ、団体旅行のグループがあちこちにいてガイドの解説を聞いている。
カップルや若者たちのグループが大勢土産物屋の並ぶアーケードの通りに吸い込まれていく。
僕と妻は海沿いの通りを歩くことにした。
牡蠣フライカレーや穴子めしなどの食堂が軒を連ね、軒先ではかき氷や焼き牡蠣を売っていた。
たこ焼きや射的の屋台も出ていた。
江の島もこんな感じだったなあということを思い出す。
 
さっそく鹿を見かける。放し飼いであちこちにいるが、おとなしい。
妻曰く奈良のように噛みついてこないと。
ペタンと座り込んだ鹿を撫でながら観光客が自撮りしている。
軽食の店のおばあさんが鹿を2頭呼び寄せると揚げ立てのポテトフライの入ったボウルを置く。
我先に飛び込んできてガツガツと貪った。

広島へ その1

今年のドリカム遠征は広島。
7月にさいたまスーパーアリーナで見たのはドリカムワンダーランドの本編だったけど、
今回の広島は番外編にあたる「ドリカムの夕べ」となる。
本編に出演していたゲストの外国人ミュージシャンたちは国に帰り、
日本人ミュージシャンだけとなる。編曲も選曲も変わってくるだろう。
 
ちょうどよく3連休だったので
1日目はドリカム、2日目は恐らく宮島、3日目は広島平和記念資料館という予定。
広島焼きはどの店で食べるか、宮島の穴子めしはどこにするか、ここ数日そればかり考えていた。
 
6時半起き。
3日間家を留守にすることに感づいたのか、
足元で寝ていたみみたがやたら足のつま先を噛んでくる。
8時過ぎ、家を出る頃にはふてくされたのか、
CD部屋のクローゼットの奥に引っ込んだまま出てこなくなった。
 
荷物の用意をする。
先日の台風でメチャクチャになったミニサイズのビニールハウスを燃えないゴミに出す。
錆びた支柱を束ねて紐でくくる。
なつぞら」はそろそろ終わりか。完成したアニメが放送された。
 
先週末の暑さが嘘のように涼しい。
新宿で乗り換えて中央線。
頭上のモニターでは秋田新幹線が熊と衝突したことにより遅延、と表示されていた。
熊がかわいそうだが、どうやって新幹線の線路に潜入したんだろう。
 
3連休初日で東京駅は混雑していた。
「祭」で駅弁を買う。
「そば屋の天むす」「八ヶ岳名物 丸政のチキンカツ」「八ヶ岳高原の鶏めし」の3つを買う。
奇しくもこの3つとも丸政によるものだった。どれもおいしい。
本当は博多駅のかしわ飯を買いたかったのだが…、見つからず。
レジを出た後で目に留まった。残念。
 
10:10 東京発博多行き。
車両のあちこちで座席を向かい合わせにして宴会。
到着して広島駅の駅ビルでおいしく広島焼きと生ビールを味わいたいと
僕にしては珍しく新幹線の中で缶ビールや缶チューハイは飲まず。素面で過ごす。
持ってきたジェイムズ・エルロイ『ビッグ・ノーウェア』を読む。
富士山は雲に覆われていて、山頂だけが見えた。まだ雪は降っていなかった。
 
通路を挟んで隣に座っていたおばあさんが何度も通りがかる車掌を呼び止めて、
博多に行くにはどこで乗り換えたらいいのかと聞いていた。
そのたびにこの新幹線は博多まで行きますよと答えていたが…
おばあさんその後大丈夫だっただろうか。
 
14:04 広島着。東京と違って暑い。30℃超えているか。
さっそく駅ビル「ekie」のレストラン街へ。
「みっちゃん」「麗ちゃん」「いっちゃん」「福ちゃん」と広島焼きの店がいくつか並んでいて、
この時間なのにどこも行列。
せっかくなので広島焼き発祥の店である「みっちゃん」にする。
僕はデラックス。生イカイカ天、海老、豚肉、餅、ネギ。
牡蠣の鉄板焼きも追加した。
我慢した甲斐あって生ビールをすぐおかわり。
もちろん広島焼きもキャベツが瑞々しくておいしい。
店特製のソースがマヨネーズと絡み合うとクリーミーでマイルドな味わいとなった。
壁には店の成り立ちが書かれていて、
父の始めた店を若くして継いだ井畝満夫氏がそれまで駄菓子のようなものだったのを、
麺やキャベツをいれてどろっとしたソースをかけてと今の形にしたのだと。
その後広島の繁華街を歩いていると
「みっちゃん」という名前だけどたぶん系列店ではないんだろうな、という店をいくつか見つけた。
 
食べ終えてホテルまで歩いていく。橋をいくつか渡った。
川が流れ、緑が多く、広島は住みやすそうな町だと思った。
今回のホテルは、妻の友人に勧められて今年広島にできたばかりだという「インターゲート」
エントランスが14階にあって、チェックインしたのちにラウンジ横のテラスで
無料サービスのリンゴジュースを飲んだ。眺めがいい。
ラウンジも客室もシンプルだけどスタイリッシュ。
もはやビジネスホテルとは思えないほどの居心地のよさ。
 
荷物を追いてコンサートの開催されるアリーナへ。歩いて10分ほどか。
8000人収容、とても大きいように感じられたけど
さいたまスーパーアリーナはこの4倍ぐらいのキャパシティだったか。
「ワンダーランド」のセットが入りきれず、「夕べ」となった。
演奏した曲は「ワンダーランド」と大きく変わらずかな。
後半のダークでハードなファンクをやったパートがかっこよかった。
マサさんは酔っぱらってんじゃないかというような MC の連続で、後で叱られたんじゃないかと思われる。
アリーナ席の最後尾近くですぐ隣がミキサーや映像などのテクニカルスタッフのエリア。
マイクだけを手にした舞台監督がいけ、そこ、という感じで無言で指示していた。
 
妻の友人親子もたまたまこの広島公演を見に来ていて、ご飯を食べに行くことになる。
スペインバルのよさげな店を見つけて電話してみたらちょうど空きがあっては入れるという。
SOGOなどのデパートのエリアを抜けて、
アーケード街の先に夜遊びする若者たちが集まるような公園があって
風俗街と飲み屋街が一緒になった通りに。
そのさらに裏通りにあった「イシオカ」という店。
賑わっていて店員の応対もいい。
アヒージョ、トリッパの煮込み、スモーク盛り合わせ、バジルのパスタ、パエリア、
何を食べてもおいしかった。いい店を見つけた。
 
歩いてホテルまで戻る。
インターゲートは夜、お茶漬けバイキングのサービス。
明太子、青ザーサイ、さつま揚げ、湯葉ちりめん山椒、レモン広島菜漬け、
柚子なめこ、蕗味噌、ねぎ、海苔、わさび、ごま、ぶぶあられなど様々なトッピングに
出し汁や冷や汁をかけて食べる。
あまりのおいしさにお代わり。腹いっぱいを通り越すまで食べてしまった…
これはドーミーインの夜泣きそばを超えた。軽々と超えた。
温泉ではないけど大浴場まであって、入ってきた。
「ステキな金縛り」をやってて、缶のハイボールを飲みながら見た。

09/09-09/13

09/09(月)
 
朝目が覚めると台風15号の暴風雨。
大江戸線は動いてるんだろうけど、周り皆遅れるだろうからと
僕も7時半起きで10時出社。
家を出る前に玄関の中にしまった鉢植えを外に出した。
 
午前中は出社している人が少なかった。11時を過ぎてチラホラと。
昼、弁当。いつもの鯖、ほうれん草とベーコンのスクランブルエッグ。
竹輪炒め。切り干し大根の煮物。ブロッコリーミニトマト
 
定時で帰ってきて LIVIN に寄って帰る。
タワレコで Rock'on を買う。
庭の水やり、掃除機、洗濯物。
明日の弁当はパックの豚バラ肉炒め。
妻がキムチチャーハンを食べたいというのでつくる。
辛くないキムチを買ったらかなり甘かった。
 
酒場放浪記。逆転人生は盲目で初めて弁護士になった方。
町中華で飲ろうぜは谷中。
玉ちゃんパートが終わって寝るつもりが、
後半の女性タレントパートが練馬だったのでそちらも見てしまった。
ウィスキーを飲む。
午前0時過ぎに眠る。
 
朝、妻が家を出ようとしたら蜂が入ってきた。
部屋のひとつに入ったので殺虫剤を撒いたと。
夜帰ってきて死骸を探すが見つからず。
効果あるだろうと蚊取り線香を焚く。
妻が帰ってきてすぐ見つけた。
窓の桟のところにいた。
そうだ、蜂は明るいところに向かう。
 
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09/10(火)
 
みみたに両腕をぺろぺろされて目を覚ます。
昨晩ウィスキーを飲みすぎたか、眠くてだるい。
行きの地下鉄の中で梅崎春生作品集を読み終える。
「砂時計」は不思議な作品だった。
ストーリーの骨格はしっかりしているのに、なにかのバランスがおかしい。
その中で語られる内容がそうなのか。
 
2カ月寝かせていた小説を読み返して表記の揺れを直す。
妻からは酷評だったけど、それほどでもないかと思う。
先日の集まりで大学の先輩に貸してほしいと頼まれて成田亨『眞実』を
クッション封筒に入れて郵便局から送る。
この本、僕は県立美術館で買ったんだけど私家版で入手困難、
今はヤフオクなんかでは2万の値段がついていた。
 
昼、弁当。昼寝。
午後部長面談。和やかに終わった。
先週末持ちあがった予算周りの懸案も問題なしとなった。
この日もまた35℃越えの猛暑日
都内で9月に猛暑日となるのは5年ぶりだったか。
 
帰ってきて駅を出ると雷が。
その後ずっと鳴り続けていた。夜は少し雨も降った。
明日の弁当のため簡単に。ソーセージを焼く。
ミックスベジタブルとベーコンのスクランブルエッグ。
夜は鮭のホイル焼きをつくる。
妻がほうれん草とカボチャとしめじのみそ汁と
セロリ、トマト、アボカドのサラダをつくる。
鑑定団を見る。新聞を読む。
 
酒は飲まず。聞くとこのところいびきをかいていないという。
やはり深酒がよくないのだな。
23時半に寝た。
 
千葉では依然として50万世帯以上が停電。
この猛暑に。想像しただけでゾッとする。
 
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09/11(水)
 
ジェイムズ・エルロイ『ビッグ・ノーウェア』を読み始める。
朝、小説の手直し。
 
昼、弁当。昼寝。
妻から、夕方ゲリラ豪雨と聞いたけど外に洗濯物を干してしまったと。
夕方、本社に戻って部会。上期の締め状況と下期のこれからと。
後半はクイズ大会。
会社の経歴や資本金、株価、従業員数、筆頭株主、グループ会社の名前など。
全然覚えてないものですね…
しかしクイズにすることで印象に残った。
4・5人で1チームとなって僕らは3位となった。
 
終わってオフィスを出ると小雨。
光が丘に着いて、降ってはいなかったが地面が濡れている。
家に帰ってきて洗濯物を見てみるとぐっしょり。洗濯し直して室内に干す。
弁当のおかず。新メニューを開拓しようと鶏腿肉と玉ねぎ、ピーマンのみそ炒め。
夜は昨晩に引き続き妻がつくることになって鶏胸肉のカツレツとサラダ。
タルタルソースは僕がつくった。ラッキョウを漬けたのと玉ねぎを半々。
この日は缶ビール、缶チューハイを呑む。
街録を見て寝る。
 
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09/12(木)
 
朝、小説の手直し。
昼、弁当。昼寝。
午後次フェーズの要件定義について打ち合わせ。
 
帰ってきて庭の水やり、洗濯物の取込、掃除機。
猫砂を入れ替えて、猫草が枯れてきたので捨てる。
明日の弁当は豚バラ肉、厚揚げ、ネギを黒コショウとオイスターソースで炒める。
夕飯のため、タラのムニエルをつくって昨晩のタルタルソースを。
レタス、トマト、わかめ、豆腐のサラダ。
妻が職場からすだちをもらってきて、皮をこすって振りかける。
すだちサワーをつくって飲む。
嶽きみを茹でた最後の1本も食べる。
 
鑑定団の再放送とお笑い演芸館。
ねづっちが手堅い。ダチョウ倶楽部はもはや伝統芸能
タイムマシーン3号が別格で腹抱えて笑った。
デブネタで全くぶれがない。なのに飽きない。
クールポコは全くアドリブがきかず、放送事故並みにやばかった。
エンペラーも面白かったな。M-1決勝に出るかもしれない。
優勝はまだ無理そうだけど。
 
夜はだいぶ涼しい。
23時半に寝る。
 
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09/13(金)
 
朝、小説の手直し。
3連休を前にして淡々と過ぎていく。
昼、弁当。昼寝。
電話がかかってきて、どこだろうと思っていたら
10月頭に宿泊するつもりだった南房総のホテルから。
台風15号の被害を受けて1ヶ月ほど閉館して修理するという。
 
淡々と過ごして帰るはずが…
帰る頃あれこれと。少し残業して帰る。
庭の水やり、掃除機、洗濯物の取り込み。
妻が車を修理に出して、代車で帰ってくる。
金曜の夜、ジャンクなものが食べたい。
エースコックの「汁なしラー油まぜ蕎麦」
期待した分今一つだったかな。
妻がサラダと、しめじと玉ねぎのバター醤油炒めをつくる。
 
みみたの給餌器の電源が消えていて、
チコちゃんを見終わって近くのセブンイレブンに単一乾電池を買いに行く。
給餌機をひっくり返して電池を入れ替える。
新日本風土記のテーマはビール。
京都のホップ農家が缶ビールに追いホップを。
銀座ライオン、枝豆農家、球場の売り子など。
猫歩きは再放送でジャマイカ
おんな酒場放浪記。
あとは寝落ちしなければタモリ倶楽部、金曜日のどっち。
 
先日大学の先輩に本を貸すため送ったところ、すぐ礼状が届いた。
嬉しいものです。