一瞬の暗闇が過ぎ去ると、僕は僕の体を見下ろしていた。
病院のベッドの上。看護婦が医師に何かを告げていた。
もう1人の看護婦がモニタに映る数値をカルテのようなものに記入していた。
痩せ細った僕の体はボロキレのようだった。
ここにいる誰もが僕の存在に気付かない。
死ぬってこういうことなのかと思う。
何ヶ月もの痛みの時期の間、ずっと考えていた。
そしてその通りになった。
死後の世界は存在する。だけどそれは生きていたときの世界と全く同じ場所だった。
シンと静まり返った世界。
慌しい物音が聞こえてくるはずなのに何も聞こえてこない。
音というものが片端から全て吸い込まれていくような、そんな静けさ。
匂いというものもない。
病院特有のあの匂い、そして僕の死臭。
様々な匂いが混ざり合っているはずなのにそこには何も漂っていなかった。
温度の感覚も。
死の訪れるその瞬間だったのか、それともその直後だったのか、
熱のようなものを、続けて寒気のようなものが体の中をふわっと突き抜けた。
そしてそれっきり。どういうものだったのかもわからなくなった。
なのに今の僕は裸足で床の上に立っているという感触があって、それに視界もある。
恐らく、「形のあるもの」については知覚できるようになっているのだろう。
そこには既に先客がいた。
場違いな格好をした人が3人、増えていた。
僕を見てるような見てないような、無気力な顔をしている。
1人は宙に浮いていた。1人は空いていた椅子に座っていた。
もう1人はドアの向こうに去っていくところだった。
この3人にはそれぞれ関係のないことが直感的に僕にはわかった。
そしてこの僕にも関係がない。
「僕の死に立ち会った」であるとか、「死後の導きを行う」であるとか、
そんな役目を負うつもりは全く無さそうだった。
たまたまそこに居合わせただけ。
僕は僕の体に別れを告げると、病室を出て通路を歩いた。
病院だけあって死者が大勢いた。部屋によってはぎっしりと死者が集まっていた。
10分もすれば僕にも死者と生者との見分けがなんとなくつくようになった。
ふとした瞬間に意識を上に向けると、それだけで僕の「体」はふわりと浮かび上がった。
泳ぐようにして通路を進んでいって、階段を上っていくと、やがて屋上に出た。
驚くべきことに空のあちこちを死者が漂っていた。
彼ら/彼女たちは何をしているでもなかった。
飛ぶでもなく歩くでもなく、近くの人たちと話すでもなく。
一言で言うならば、「佇んで」いた。
地上に降り立つと街は、生者では閑散としているのに
死者たちとなると気味が悪くなるぐらいの賑わい(変な言い方だが)だった。
僕は思った。さっきは病院だったから死者が多かったのではない。
どこもかしこもこうなのだ。そして恐らく地球上全体がこうなのだ。
あらゆる死者が行く当てもないまま、することもないまま、漂っているのだ。
人類の歴史が始まって以来の全ての人間たちが、この惑星の上に閉じ込められている。
その後何日か、何ヶ月かが過ぎていった。
時間はかかったが成層圏を突き抜けることには何の問題もなかった。
地上よりももっと多くの人たちが暗闇の中を漂っていた。
どこまでも行くことは可能なのだと思う。
月や火星を訪れた人もいるだろうし、
太陽へと近付いて飲み込まれることでその魂を焼却させた人間だっているに違いない。
太陽系の外を飛び出していった冒険者たちの数は何十万、何百万ではきかないかもしれない。
やがてこの宇宙の全てが、地球から生み出された死者たちで埋め尽くされてしまうのだろう。
僕もまた太陽系の外へと旅に出た。
時々、同じような死者に出会った。
音が聞こえないから声も出せない。かといってテレパシーが使えるわけでもない。
ごく単純なことしか伝え合うことができない。
これでは確かに他の人の存在を意識することもなくなってしまうはずだ。
僕はほとんどの時間を1人きりで過ごした。
誰かに出会っては心の中で別れを告げた。
どこに向かっているのかは分からないが僕は先を急いだ。
到達できるその地点というものを求めた。
僕が今漂っているこの場所は天国なのだろうか、それとも地獄なのだろうか?
僕はこの死者という状態をいつまで続けることになるのか。
僕は、いや違う、僕らは、
永遠にこの宇宙を漂い続けるのだろうか?
恐らく永遠に近い時間を経て、
そしていつの日か、地球へと戻っていくのだろう。