JR福知山線脱線事故/ハインリッヒの法則

JR福知山線脱線事故
僕が思ったのは70名を超える亡くなられた方々やその家族の方々のことではなくて、
この事故を引き起こした運転手のことだった。


直前の駅で車両の先頭がはみ出してしまい、
後退してホームのあるべき位置に戻すのに1分以上かかった。
JR西日本では列車の遅延に対して厳しく、減給といった処分に該当するのだという。
(ニュースで初めて知ったのだが、JR東日本ではこういう規定は特にないのだそうだ)


小さなミスを犯す。
 → リカバリしようとして無茶なことをする。(自分だけの判断で、こっそりと)
 → 取り返しのつかないことを引き起こしてしまう。


身につまされる。
同情する、とまではさすがに今回の件、言うわけにはいかない。
あくまで、身につまされる。


上で挙げたようなフローはもっと小さなレベルなら、
僕らの日常生活にいくらでも転がっている。
システム開発・運用という職業に携わっているならそういう機会はいくらでもある。
実際僕も今回のプロジェクトではそういう危機が何度でもあった。
1月の最も忙しい時期、徹夜が続いたりで最も無茶苦茶だった頃、
自分のやった作業がミスして、というのが何回かあった。
なんとかこっそり隠し通せないかと祈るような気持ちとなることもあったし、
実際にそれとなく取り繕ったこともあった。
誰にも気付かれないまま過ぎ去っていったものもあれば、
割と大きめな障害となったものもある。


つくづく思った。
こんなとき自分1人で解決しようとしてはならない。
何も常に公明正大であれ、と言いたいのではない。
僕だって人間なのだから隠し通せるなら隠し通したい。シラを切りたい。
だけどそれが取り返しのつかないことになったときの怖さ、
取り返しのつかないことになったことを知ったその瞬間の
奈落の底に突き落とされるような絶望的な気持ち、
これを味わうことの方がもっと嫌だ。


その小さな過ちが周りの人に露呈するのは単純に確率の問題なのかもしれない。
そしてその確率は意外に低い。
だからと言ってそこに賭けることはできない。
常日頃の行為として当たり前のように毎回賭けていくことは、
普通の神経を持った人ならば不可能なことなのではないか。


ハインリッヒの法則」というものがある。
1件の重大な事故の陰には29件の軽目の事故があって、
さらにその陰には300件のひやっとするような出来事があり、
という例のあれだ。円錐やピラミッドの図と共に紹介される。
今回の列車事故がその頂点の1件に該当しますと簡単に割り切るわけにはいかないが、
(遺族の人たちの気持ちを考慮に入れず、あくまで抽象的に考えるならば)
だいたいのところそういうことなのだと思う。
僕はいつも300件の方にいて、時々29件の方に足を踏み入れていた。
1件の方に入らなかったのはただ単に確率やタイミングの問題だった。

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大きなトラブルとなることは多々あるが、
社会問題としてニュースとして取り上げられることは多々あるが、
人が死ぬということはない。
そういうところだけはIT業界でよかったと思う。
首が飛んだり、破産する人はいるけれど。。。