教師という職業

中学生のいじめが原因による自殺が相次いで発生し、
ニュースでも連日のように取り上げられている。
福岡の事件では教師が自らいじめを誘うような言動を行なっていたようで、
救いがたい、というか許しがたいことのように思う。
自殺した生徒だけではなく、
こういう人としておかしな教師と共に多感な時期を過ごした生徒たち、
全員がかわいそうだ。


今振り返ってみると、僕の小中高といろんな意味・いろんな度合いで
「おかしな」教師ってのはいっぱいいたように思う。
みんなで笑って先生も一緒になって笑っているような、いい意味の「おかしさ」もあったし、
近寄りがたい、授業を受けたくないような「おかしさ」もあった。
でもそれって人というものがロボットではなく、
そもそも個性や主義主張に揺れ幅があって、
その人としての人生や生活のあるのだから当たり前のことなのだと思っていた。
仕方のないことなのだ、そういうものなのだ、と受け入れていた。


先生というのもあくまで職業の1つだと考えるならばなおさら、そうだ。
授業をする側にも受ける側にも割り切れないものがどうしても出てきてしまう。
教育の現場にて理想を掲げて追求することの困難さが
この年になってなんとなくわかってきた。
今思うと、「子供たちのためにやれることはやろうよ」という立場の先生と
そういうの一切が無関心な先生とがいた。
僕が教師という職に就いていたならば、どっちに立つだろうか?


この世の中には、努力したのに結果を出すことができなかった、
問題を抱えた生徒を救おうとし、生徒を包む環境を改善しようとし、
駆けずり回ったというのに生徒が自殺してしまった、という先生もいるのだろうと思う。
こういうのって運・不運の問題なのだろうか?


正義の味方でもなんでもなくて、
ただ単に教育者として、人として行なうべきことを行なおうとした。
なのにその後の人生において
その生徒の自殺をずっと心の中で抱えて生きていかなくてはならない。
とてつもない重荷だ。「重荷」の一言では片付かない。
自分がそういう立場になったときのことを想像したらぞっとした気持ちになった。
というか想像の入り口に立って、無理やり閉じた。そこから先、考えるのをやめた。
僕だったら、教師という職業を辞めて、住む場所も変えて、
全然違うことをしてひっそりと生きていくのだろうと思う。


先生にならなくてよかった。自分には絶対勤まりそうにない。
先生という職業に就いて、
しかもその職業に誇りを持って日々子供たちに接している人がいるのなら、僕は尊敬する。


僕はこれまでの人生に出会った何人かの先生のことを思い出した。
「大変だったんだろうな・・・」と思う。
「大変」の一言で簡単に片付けるわけにはいかないのだろうけど。
それ以上、言葉にならない。