イッシーの結婚式

大学の寮の同級生、イッシーの披露宴に出席する。
イッシーは僕のいたブロック「北2A」(北棟2階のA)で寮委員を務めた。
つまり取りまとめ役。
地方から上京してきたばかりの18・19の多感な年頃のガキばかりの中で
自ら率先して寝てるか飲んでるか麻雀を打ってるかバイトしてるかという生活を送る。
入学当初から髪は茶色。高校時代はヤンキー。
(今から10年前は髪を染めるということはそれほど日常的な行為ではなかった)
僕らは陰で「あの人は怖い人だねえ」と方言で言い合ったものだ。


披露宴には寮の同じブロックの同級生の中から今でも東京在住の者が僕を含めて3人出席する。
場所は品川プリンスホテル
年末に同級生たちで集まって飲んだときに「すごいとこでやるねー」と驚いたら、
嫁さんの職場なのだという。
新婦側の挨拶はその品川プリンスホテルの支配人で、
「今日ご出席されている皆様の中にはお若い方が多いようですので、その際には・・・」と、しっかり営業。
場内の笑いを誘う。
新婦側の会社の友人たちも上司に当たる人たちもみなホテルの人たち。
デパートの店員が自分とこのデパートで買い物をするようなもの。
こういうことって結構あるのだろうか?
このことに関係するのかどうかわからんが、非常にオーソドックスな披露宴だった。
結局こいつが一番まともなやつだったんだなあという結論に至る。


そういえばここ何年かシーズンになるといろんな人が結婚式を挙げて、
2次会によく呼ばれたのであるが、披露宴からというのは久々。
そもそもこういうときっていくら包んで持っていくもんだっけ?
2万って額はいいんだっけ?ダメなんだっけ?最近はいいんだっけ?やっぱ3万が無難?
人知れず調べて回る。袋にもあやうくヨレヨレのお札を入れそうになる。


もう7・8年は会ってなかった同級生(新郎とはサークルが一緒だった)と出くわす。
今度機会があったら集まろうぜという話になる。


披露宴が終わって、2次会は出席ってことにしといたんだけど
疲れがどっと出てきてフェードアウト。
今撮っている作品「29」にどうしてもイッシーの披露宴の映像を使いたかったので
要所要所でカメラを回していたせいだろうか。
家帰って眠りたくなった。

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北2Aには同級生が12人いて、そのうち3人が音信不通。
残り9人のうち結婚したのはこれで3人。
音信不通の3人はまともなやつらだったので恐らく結婚しているだろう。
一緒に出た2人のうち、1人は結婚していて1人は結婚する気まるでなし。


同級生の披露宴に出席すると複雑な心境になる。
学生時代は「人は人、自分は自分」っていう気持ちが強かったが、
最近そんなふうに思えなくなってきた。
これはもう何度も書いていることなんだけど、
去年辺りから焦りや不安を感じるようになった。


「いやあいいんですよ、これで。後はもう1人でひっそりと
映画見たり音楽聞いたりして過ごして生きますよ」という自分と、
普通の人として普通に暮らしていくことを望んでいる自分と。
いっつもバランスが危うくて、その日の気分でどちらかに大きく傾いても
「果たしてそれでいいんだろうか?」と1人悶々と思い悩むことになる。
僕は49:51のギリギリのところで普通人であることを選んでいるのだと思う。
だからあらゆる物事に対して腹をくくって飛び込めない。


「人は人、自分は自分」と言い切れなくなった。
人並みであることにほっとするようになった。
その一方でそんな自分に対してひどく苛立ちを覚える日も確かにあって。
揺れまくっている。
そしてさらにその揺れている自分自身を「なんだかなあ」と思って
呆れて眺めている自分もまた存在している。


今の僕はなんだか、大人たちのすることに対していちいち拗ねてる子供みたいなものだ。
何事も素直に受け止めることができなくて、あらゆるものを嫌々受け入れている。
それももう慣れっこになって、考えることを放棄してしまっている。
「はいはい、そうしてればいいんでしょ?」と黙って受け流して、時々拗ねている。
大人びた子供のまま、大人になることのないまま、いたずらに年を重ねていった。


僕は今一応身分的には会社員ではあるものの、それ以外の部分は何かがおかしい。
「普通の人として普通に暮らしていく」というのが傍から見てできているようでちっともできていない。
他の人の社会生活から比較してみて、いろんなものが欠けている。
それってただ単に家や車や保険に入ることとか、そういったステレオタイプなものなんだけど。


こんなことってもしかしたら思い悩むことですらないのかもな。
でも僕は性格が性格なものだからついついそんな「どうでもいいこと」にはまり込んでしまう。


同級生は今年29か、30。
たまに会えばいつのまにか離れてしまった彼らとの距離感に嫌でも気付かされる。
不安になる。
人生っていくつもの分岐点に満ちているものであって、
この年にもなればいろんな多様性が現れてくるもの。
それを受け入れるだけの勇気がまだできてないってだけの話なのか。
結局は子供のまま。