歯医者その8

その後1ヵ月経過して、また歯医者に行く。
前回、歯の間の歯垢を取るために歯間ブラシを使うように指導され、
夜寝る前に歯を磨く時に続けて使うようにする。だいぶ慣れる。


1ヵ月。長かったような短かったような。
待合室で雑誌を読みながら待っていると
オカムラさん、中にお入りください」と声をかけられて、顔を上げる。
いつもの人とは違う。
「一番奥になります」と案内され、診療台に腰掛ける。


あの人はどうしたのだろう?と考える。
今日は休みなのだろうか。
「1ヵ月ぶりに会える」と思ってこっちは来てるのに
向こうにしてみれば僕は抱えてる患者の1人でしかなく、
休みを取るのも気楽なものなのかもしれない。
そう思うと「はー・・・」と悲しくも寂しくもなってくる。
しかし、以前話した時、歯科医院には有給というものはなく
体調でも崩さない限り休めないということを聞いている。
並大抵のことでは休みを取れない。
そうだ。そういうことなのだ。
あータイミング悪いなあと自分の運の悪さを嘆きたくなる。
が、ふと思う。もしかしたら何かが起こって急に辞めてしまったのかもしれない。
患者や同僚との間でトラブルがあったとか、健康上の理由とか。
「結婚が決まったので辞めます」だとしたら目も当てられない。
どんどんどんどん悪い方悪い方に物事を考えていく。
暗い気持ちになる。目を閉じる。


というところで「オカムラさん、こんにちは」との声。
目を開けると彼女が笑顔で立っていた。
よかったと思う。救われたようにすら思う。
なんだか慌てて出てきたようだ。何があったのかはわからない。
両手にポリエステルか何かの半透明の白い手袋をはめる。
「1ヵ月のお加減どうでしたか?」と聞かれる。
「歯間ブラシは慣れましたか?」


その後、夏のイベントにはどこか行かれましたか?という話になる。
先週三浦半島にドライブに行ったことを話す。
フェリーに乗って温泉に入った。
その後は無いんですか?と聞かれて
来週末に会社の同僚たちと隅田川の花火大会を見に行くことになっていると僕は答える。
「花火大会いいですね!」
彼女の目が輝く。
「これまでにどこの花火を見たことありますか?」
思い出せない。調布や豊島園の花火を通りがかって眺めたことがあるぐらいか。
「私先週横浜に行ったんですけど、花火大会やってたんですね。
 近くにいたんですけど、ものすごい人手で混んでて、私家に帰りたくなっちゃいました」


歯の様子を確認してもらう。
歯磨きがうまくなっているため歯茎の状態がよくなっていると診断される。
「歯磨きの時出血しなくなったでしょう?」と言われて、そう言われてみればそうだと思う。
歯間ブラシの使い方を覚えたら次はデンタルフロスです。
彼女は必殺仕事人のようにテグスを両手に持ち、ピンと張り詰めらせる。
そしてニッコリと笑う。
そこから先ほんとならデンタルフロス講習となるのだが、
歯間ブラシを使ってるところを見せてくださいと言われて
寝そべって左手に手鏡を持ち右手で歯の表側から磨いていたら
今度は裏側から磨いてくださいと指示される、
そして僕は裏側から磨いてみたことは無くどうにもうまく動かせない。
結局この日は裏側から磨くレッスンとなる。


デンタルフロスを使えるようになるとそこから先は
半年に1度程度通って歯の健康状態のチェックとなる。終わりに近付いている。
それが1回分伸びたのだから僕としては「よかった」と思う。
これまでにも何度も書いてきたことではあるが、
最後に彼女に歯を磨いてもらっている時が
今の僕にしてみれば最も幸福な瞬間なのだ。
これをいかにして引き伸ばすか。
このことを考え出すと仕事は手につかなくなるし、土日はぼんやりしてしまう。


(続く)