風をあつめて6

越中島の駅を過ぎて潮見駅の手前で京葉線は地上に出る。
電車は湾岸沿いに走っていく。
工場地帯。コンビナートが並んでいる。煤けた煙突、赤と白に塗り分けられた鉄塔。
女の子にとっては珍しいのか、
しばらくの間体ごと窓側に向けて、ガタゴトと流れ去る光景を眺めていた。
やがて木々に覆われた葛西臨海公園のもこもこした姿と
その向こうに大きな観覧車が視界に入ってくる。
「あれだよ」と僕は指差す。


駅で降りてホームに立つ。
舞浜や海浜幕張もそうだが、京葉線のこの辺の駅は広々としている。
ホームが高いところにあって吹きさらしのようになっているからそのように感じるのかもしれない。
久々に来た。自然に近い場所に来ること自体が久々だ。
「どう?」と僕は女の子に聞く。
女の子は僕の方を見上げて何か言いたそうにするが、うまく言葉が見つからないようだ。
笑顔と無表情とが入り混じったような微妙な顔つきになる。
「行こうか」
僕は女の子の肩を軽く叩いて駅前の広場に入っていく。


水族園に向かって歩いていく。
公園内を汽車の形をした乗り物がゆっくりと走っている。
休日を自然に近い場所で過ごそうという人たちが多くもなく少なくもなく。
あちこちに建っている売店で家族連れはフランクフルトや焼きそばを買ったり、
カップルはシェークを頼んだりしている。
「何か食べたいものはある?」と聞く「アイスクリーム」と言うので、バニラのアイスを2つ買う。
大通りのベンチに座る。
背後には観覧車があって、右手には横長に四角いガラス張りの建物が建っていた。展望台だ。
無言でアイスを食べる。僕なんかはあっという間に食べ終えてしまう。
女の子はのんびりとアイスのてっぺんにかじりついている。
身長180cmの僕にとってちょうどいいサイズなので、
女の子からすればとてつもなく大きなサイズのものとなるのだろう。
ふと、ベンチの横に置いていたスケッチブックのことが気になる。
持ち上げて前に持ってきて「見ていい?」と聞く。
女の子は口の周りに白くクリームを残しながら、「だめ!」と言う。
「だめ?」
「だめ」
「どうしても?」
「どうしても」
仕方なく僕はスケッチブックを元の場所に戻す。
「ふー」と大きく息をする。
空を眺める。青い空に中ぐらいの大きさの雲が2つ浮かんでいる。
女の子は軽く足をバタバタさせる。
僕は「じゃあ、どんなものを描いているの?」と聞く。
「かく?」
「そう、色鉛筆で。今日も持ってきたよね。いつも持って歩いてるのかな?」
うん、と言いたげにうなずく。
「何を描くのが好き?」
「えーとね、・・・」女の子は照れて恥ずかしそうにする。


携帯が鳴る。
見てみると教授からだ。出る。「ちょっと待って」と僕は言う。
「もしもし?」
「いやー悪いねえ!オカムラ君」
「や、大丈夫ですよ」
「どうしてる?」
「今、葛西臨海公園にいます」
「カサ・・・?どこだそりゃ」
京葉線に乗ってディズニーランドの近くの」
「ケイオウ線にディズニーランドなんかないだろう。横浜のみなとみらいか?」
「いや、だからそうじゃなくて」
電話の向こうでかなり騒々しい。誰かが大声で叫んでいる。
確かこの時間は講演会のはずなのに、予期せぬトラブルが発生したのだろうか。
「講演会はどうですか?」
「それがだな、・・・」電波が入りにくくなって教授の声が聞き取れなくなる。
「・・・もうすぐ始まるんでよかったんだが」
何がいいのかよくわからないが、とりあえず「それはよかったですね」と相槌を打つ。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
「あ、ちょっと待って!」
「何かね?家内と替わろうか?」
「や、そうじゃなくて」
僕は立ち上がりベンチから遠ざかって、女の子に背を向けて小声で話す。
「この子の名前はなんて言うんですか?いくら聞いても答えてくれないんですよ」
「おお、おお、教えてなかったか。
 ナツミっていうんだが、ナッチャンとうちの家内は呼んでおる」
「あーありがとうございます。とても助かりました」
「そろそろ始まるんで切るぞ?」
「はい?」ブツッと切れる。


ベンチに戻る。
女の子に向かって僕は話し掛ける。
「先生から聞いたよ。君はナツミって言うんだね」
僕がこう言った瞬間、女の子は立ち上がって逃げ出すように走り出した。
その顔は悲しそうな、泣きそうな顔をしていたかもしれない。
突然のことで僕は驚く。
追いかけようとするが、ベンチの上のスケッチブックと色鉛筆のケースが目に留まる。
ひっつかんで僕は女の子の後を追う。
体の大きさということもあって僕はすぐにも彼女に追いつく。

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風をあつめて5 http://d.hatena.ne.jp/okmrtyhk/20040823