できるかな

昨日の夜、会社の後輩たちと外で食事をしていたときに思い出してした話。
話題は「才能について」というものだった。


以下、記憶違いやとんでもない誇張があるかもしれないが、ご了承いただきたい。

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大学一年のときの学園祭にて「ノッポさん」が来て講演会をするというので見に行った。
「え、ノッポさんですか!?」と後輩の1人が驚く。
(勘違いする人がいるといけないので念のため注釈するが、「ゴンタ君」の方ではない)


「できるかな」の放送が終了し、
芸能活動の一線から退いた「ノッポさん」こと高見映氏は水泳教室に通い始めた。
健康維持のためとまあ、暇だったのだと思う。
ノッポさんは平泳ぎを習う。スイスイと泳ぐ。


講師の先生曰く、「あなたは大変才能がある!!」


フォームがよかったりするらしい。
名前の通り長身でスラリとしているのが平泳ぎに適しているのか。
パントマイムやタップダンスをやっていて身のこなしが軽やかだったのがよかったのか。


100年に1人の逸材だとのこと。
マチュアの試合に出ると余裕で優勝してしまう。
講師の先生曰く、「もっと若い頃に水泳をやっていたらオリンピックに出れたかもしれない」
なんだかもったいない話である。


若い頃に平泳ぎに出合っていたら人生がガラッと変わっていたわけで
そしたら「できるかな」も「ノッポさん」も存在しなかった。
そう考えたとき、僕らからしたらどちらがよかったか。
当人にしてみれば知らず知らずのうちに「ノッポさん」となることを選んでいたので
その当時は選択肢なんてなかったんだろうけど。


「オリンピックの水泳選手となることと
 ノッポさんとして子供たちの人気者となり人々の記憶に残ることと
 どちらを選びますか?」
こんな究極の選択が天秤に掛けられるのだとしたら人生とはひどく奇妙なものだ。

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何のとりえの無いとされる人でも何かしら才能を持っているとよく言われる。
でもそれがなんなのかわからないまま、表に出ることの無いまま、多くの人は年老いて死んでいく。
僕もあなたも何かしらもっていて、それはものすごく風変わりなものだったりするのかもしれない。
サーカスの綱渡りをさせたら実は、とか。
あるいはありふれてるけど、タイミングによっては一生縁が無いもの。
蕎麦やうどんを打つこととか。焼き物の壷を作るとか。


トランプで大富豪をやってると自由自在に革命を起こせる。
例え持ち札が少なくてもトリッキーな革命を引き起こし、
1ゲームの間に2回も起こしたりして他のプレーヤーたちが恐慌を来たす。
そんな才能。天才の名をほしいままにする。
これって、・・・実は僕。高校時代の昼休みに気付いて「これはすげえ!!」と一瞬盛り上がったものの
その後今に至るまで長いこと盛り下がる。
僕に与えられたものはこれだったのか・・・。
せめて麻雀だったらプロとしてやっていけたかもしれないものを、
大富豪じゃ食っていけないよな。


※我と思わん方は僕に挑戦してください。いつでも受けてたちます。

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それにしても、ノッポさんとして20年近くテレビに出続けたという人生。
高見映氏の生涯は「ノッポさん」の一言に集約される。