ロス(9/7)その25 マリナ・デル・レイ

最初に向かうのはマリナ・デル・レイ。全米1のヨットハーバー。
ハイウェイだろうか、ガイドのおじさんが1号線という道路に入る。
はるかサンディエゴまで延びているのだという。
「レンタカーは借りないのですか?」
「学生ですか?」
「旅行にはノートPCは持ってきますか?」
そんな質問を受ける。
日本でも運転しないのに初めての土地(しかも外国)で運転できるわけがない。
学生と思われるなんて何年ぶりだろう?
外見の問題じゃなくてメキシコシティに一人旅したということからそう判断したのかもしれない。
ノートPCはもちろん持ってますよと。
続けて、「メキシコシティではインターネットできますか?」と聞かれて
たぶんできるのだろうけど僕の泊まったホテルではできなかったと答える。
ガイドのおじさんは英語訛りの流暢な日本語を話していたが、
なぜか説明してて右と左を間違える。


メキシコ。
ガイドのおじさんは大学卒業のときに、車で中米を回ったのだと言う。
メキシコ、ホンジュラスコスタリカ
信じがたいほどの貧富の差を目撃する。貧しい地域では土とヤシで家が作られている。
メキシコは安全でしたか?と聞かれて僕は「や、安全でしたよ?」と僕は答える。
「・・・そうですか」と言われる。
今思うとそれは遺跡のような観光地と首都の中でも安全が保障されている
高級な地区だけをメインに僕が過ごしていたからだ。
メトロ圏内の中流地区(僕は勝手に中流と思っているが実際はどうかわからない)でも
おおむね安全だろう。でかいリュックサックをしょって緊張感なく突っ立ってたりしなければ。
一皮向けば、危険なことがたくさん待ち受けていたかもしれない。
僕はそこに足を踏み入れようともしなかった。旅行者としては正しい態度なんだけど。
でもその分僕はメキシコという国の「良い面」上っ面しか眺めなかったことになる。
いいかどうかはよくわからない。
人によってはそんなのメキシコを知ったことにはならないと言うだろうし、
人によってはそんなこと絶対するべきではないと言うだろう。
今の僕は渋谷・浅草・銀座を回って、「ああ、東京を満喫した」と言っているようなものだ。


メキシコ第2の都市、ティファナはメキシコシティよりもはるかに危険だという。
誘拐が多発している。ターゲットは上流階級の子息など。
日本人も誘拐されている。旅行者ではなく、日本企業のメキシコ支社の支社長であるとか。
(僕はとある大手電機メーカーの名前を聞く)
裏取引、つまり多額の現金を支払うことで拘束されていた身柄を解放してもらう。
(このときは10億円支払ったとされる)
メキシコシティの上流階級の住む地区であっても安全とは言えない。
ガイドのおじさんの友人にメキシコ全土クラスでも大きいとされる企業の経営者の息子がいて、
彼の一家は最も高級とされている地区の高層マンションに住んでいる。
ある日出かけようとして地下の駐車場に家族と共に足を踏み入れたところ
2人の強盗が待ち構えているのに出くわした。
目的は金品の強奪ではなくて彼の乗っていた高級車だったため、命を奪われることはなかった。
しかしそれ以来彼は高級車を買っても盗まれるだけだと悟ったという。


メキシコ北部にいわゆる麻薬の栽培地がある。
アメリカの当局(警察?FBI?)がヘリコプターを用意していて、
その栽培地の偵察が行えるようになっているが、
誰もそのヘリコプターに乗りたがらない。なぜって、打ち落とされるから。
麻薬組織は現代的な装備を備えている。地元の警察よりもはるかに。


メキシコは賄賂が利く国で、ガイドのおじさんはメキシコに来るときはいつも
酒の持ち出し(持ち込み?)を行うのだが、必ず袖の下を渡している。
メキシコの収賄システムが独特なのは、
受け取った本人は必ず、自分の割り当て分を抜いてから上司に規則正しく渡しているということ。
賄賂が当たり前。「これでは政治が発展しないんだよね」とおじさんは語る。


日本もまた危険だという話になる。
「この前日本のスチュワーデスたちの買い物ツアーのガイドをしたのですが、
 その中の1人が日本で電車に乗っていたら見知らぬ男性から
 いきなり頬を引っ叩かれたそうです。なんの理由もなしに」


危険ということではアメリカだってもちろん危険な国だ。
「治安はいいんですか?」と僕が聞くと、そんなことはないと即否定。
どこもかしこも十分すぎるほど危険。
おじさんも駐車するときには必ずハンドルに盗難防止のロックをかけていたし、
その後どこかの通りで盗難防止装置がサイレンのように鳴らすのを聞いた。
(統計で言えばロスでは10分に1台のペースで車が盗まれている)
それでもなんで住んでいるのかと言えば、気候がいいから。日本よりははるかにいいから。
僕らがそのとき走っていた海沿いの地域は雨は年間に15日しか降らないのだという。
それでいて砂漠のように乾燥していることもない。
陽射しは強いが、暑いという印象を受けなかった。
通りがかった丘では自動スプリンクラーが芝生に水を与えていた。


丘のあちこちが造成中で、地面をならしたり、建築工事が行われていた。
この辺りは昔、海だった。
それがロサンゼルスでは年間50万人人口が増えるため、埋め立てられた。
それでもまだ住宅の供給が追いつかない。
昔のロスの家というと郊外でも豪華で庭の広いものが多かったが、
今建てられる家は金持ちのものでもない限りどんどん小さなものとなっていく。


豪華な邸宅やレストラン、ホテルが並ぶ。
「人が歩いていないでしょう?」確かにそうだ。
アメリカが完全に車社会だからです」
小さなレストランやバーもある。
ホテル・カリフォルニア」という小さなホテルを見つける。
恐らく、カリフォルニア州のあちこちにあるのだと思う。


気候の話に戻る。
この一帯は36年間台風に見舞われたことはないのだそうだ。
(ただし地震は2回。僕もニュースで見た記憶がある)
ニューオリンズを襲った台風「カトリーナ」に話題は移る。
堤防が決壊。場所によっては20mも浸水。海の方が標高が高かったりする。
前回台風が上陸したときにたいした被害にあわなかったため、
今回もそんなもんだろうと高をくくって避難勧告に従わなかったことが命取りになった。


「メキシコの食事はどうでしたか?」軽い話にさらっと切り替わる。
どこで何食べてもおいしかったですよと僕は答える。
ガイドの方いわく、「私もよくメキシコに行くのですが、
戻ってきても2週間は腹の調子がおかしいです。行くと朝晩ビールしか飲まないのに」
その時僕も前の晩食べた青唐辛子のせいでおなかの調子がおかしかった。
これが日本に戻ってもしばらく続くのか・・・。


マリナ・デル・レイに到着する。
メキシコシティとはさすがに陽射しが全然違う。刺すように鮮やかだ。
ボードウォークを歩いているのは日本人観光客ばかり。
女性たちとカップル。みんな若い。学生なのだろうか。それとも働き始めて2・3年目ぐらいか。
(その後、車を降りたあらゆる場所で、車に乗っていてもあちこちで、日本人観光客を見かける。
 見かけなかった場所って実際、1ヵ所もなかった。
 9月になって航空券が安くなっているから増えているとガイドの方が言う)


白、オレンジ、赤、黄色。立ち並ぶ建物は皆カラフルだ。陽射しが強いと色も鮮やかになる。
桟橋にヨットが停泊している。漁船であったり、クルーズだったり。
湾になっているのか、向こう岸にも同じようなハーバーが見える。
海もまた鮮やかな青い色をしている。
ああ、こういうところに1日中いたいなあと思う。
そんで何もせずのんびりとヨットに揺られてることができたなら。


お土産屋で絵葉書を2枚買う。TAXが入って1.5ドル。
マリナ・デル・レイのものと、ロスのものと。
結局ロスで買ったものはこれだけ。
出て行こうとするとお土産屋の女性は「ちょっと待って」と引き止めて
おもちゃの時計を売りつけようとする。僕は「ノー・サンキュー」と断る。
ボードウォークと平行して土産物屋の建物が軒を連ねている。
細長い建物の中にお土産屋が何軒も入っている。
ロスやマリナ・デル・レイのTシャツやポスターやキーホルダー、マグカップその他。