昨日、会社で使っているノートPCが壊れた

昨日、会社で使っているノートPCが壊れた。
OSが立ち上がらなくなった。起動の途中でカーネルエラーの青い画面が出てくる。
コンピューターに詳しくないのでトンチンカンなことを言ってるかもしれないが、
ハードディスクがいかれて、そこにブートに関わる何かが乗っかってたと思われる。
違うのかな。こういう場合は。
とにかく1ヶ月ほど前から調子が悪くなって、
時々妙に処理が遅くなって固まってカーネルエラーが発生。
チェックディスクを行ったら先週は収まったように見えたので
ああ、原因はそこだったのかと忘れかけていたら、昨日急にダウン。
これまではカーネルエラーが出ても再起動したらそれでうまくいってたのに、
昨日はついに途中でハングしてそこから進まなくなった。
セーフモードでも、前回起動時の状態に戻すのでも立ち上がらず。


呆然とする。
頭の中が真っ白になる。
どうしたもんか悲しみのツボみたいなのに入ってしまって、
昨日はその後ずっと気が抜けたようになって過ごした。
暫定的な替わりのノートPCを竹芝の本社に借りに行って、
また常駐先にとんぼ返り。セットアップしてその後また普通に仕事に戻った。


PJの重要なファイルはほとんどファイルサーバに置いていたので、
当面の仕事は支障をきたさない。
いくつかローカルにしか保存してなかったファイルがあるが、まあなんとかなる。


問題は個人的なファイルがごっそり消えてしまったこと。
この7年間の会社員生活でちょこちょことためてきたいろんなファイルが全部消し飛んでしまった。
(ハードディスクに問題がなくて、復旧できたとしたら元に戻るかもしれないけど、望み薄)
こういうのって心の中にぽっかりと穴が開く。
夏前にも誤って7年分のメールを全て消してしまったことがあるので
この手のことに免疫ができてないわけでもない。
前回よりは心の痛手が小さい。
でも。でもね・・・。

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このファイルがなくなった、あのファイルがなくなったという
具体的・物理的なあれこれは実はそんな痛手ではない。
(厳密に言うと「なくなった」「失われた」という抽象的な「出来事」が悲しい)


20代半ばぐらいまでの僕だったらなくしたファイルのことを嘆いただろう。
たとえ普段見もしないものだったとしても。
意味もない、モノそのものへの執着心。とにかく溜め込む。捨てない。とりあえずとっとく。
部屋の中はそんなものばかりが埃をかぶっている。
なくても困らない。とりあえずそこにある。


使わないものは思い切ってみんな捨てちゃえばいいんだよな。


年をとって執着心がなくなって、今の僕にはできそうだ。
去年から今年にかけて、その辺割り切れるようになってきた。
今度暇になったらあれこれ捨ててしまうつもりだ。
誰かからもらったけど引き出しの中にしまったままのお土産だとか、
高校時代には意味のあった思い出の品だとか。
今現在の僕には、特に価値のないもの。


でもそれで言ったら1度読んだ本も
1度しか聞くことのなさそうな持ってるだけのCDも
みんなみんな売り払ってしまうことが望ましいんだよな。
そしてものによっては、忘れてしまうのでもかまわない。
記憶や感覚としてその作品が自分の中に残っていないのなら、
その作品はそれまでのことなのではないかと思う。
そこから先も必要としない。


振り切る力、振り捨てる力。
何事も思い切りよくいかなくては。
とりあえずこれが来年の行動指針。