エル

昨日はエルに会いに行く日だった。
木曜の午後、15時から15分間が僕の時間として割り当てられている。
僕は適当な口実を作って毎週、仕事を抜け出して地下鉄を乗り継いで会いに行く。
高層マンションの一室。入り口で4桁の数値を入力する。
エレベーターで23階(エルは素数が好きだ)。
ドアの前で再度4桁の数値を入力する。
この数値は毎週その都度変わる。何らかの方法によって伝達される。
そうだ、今週は土曜に渋谷駅前の交差点に立っていたら
SUPER LISA に一瞬だけ「2053」と表示された。
今週のキーだということはすぐにもわかった。
廊下を歩く。3番目の部屋。
ノックするまでもなく、咳払いがドアの向こうから聞こえた。
エルが待っていた。いつものように書斎の肘掛椅子に座っていた。
スーツ姿の僕は一人用のソファーに身を沈める。
エルはサングラスだけじゃなく、今日はマスクもしていた。
「そろそろ花粉が飛び始めるんでね」とエルは言う。


僕はエルに、報告することになっていた。
「この世界を形作り動かしていく法則」について知りえたものを。
他のメンバーに会ったことはないが
僕のような人間があちこちに散らばっていて、
この現実世界の些細な断片について報告を行ない、
エルがそれをより大きなシステムへと組み立てる。
その法則について詳細は詳らかにはできない。
(いつの日かエル自身がその法則へと成り代わるのではないかと僕は考えている)


僕は一連のライブドア事件について報告を行なった。
森ビルで行なわれた強制捜査粉飾決算。関連会社の副社長が沖縄で自殺。
いわゆる「ライブドア・クラッシュ」にて東証のシステムがダウン寸前となる。
もちろんこのような「事実」をエルが知らないわけではない。
続けて僕は報告を行なう。
なぜ発覚したのが火曜だったのか?
ヒューザーの小嶋社長の証人喚問が行なわれるのがこの日となっていて、
国民の視線をそこからそらしたかったからだ、というのがもっぱらの噂である。などなど。
(それぐらいの操作ならばエルには簡単なことだ。そう思うが、そこの部分は口には出さない)
そして僕は楽天のポイント騒動との関連についても触れる。


僕は額に汗しながら長々と説明を続けた。ハンカチで何度もぬぐいながら。
しばらくの間、エルは頷くこともなく黙って聞き続けた。
ようやく口にしたのはこういうことだった。
「我々はつまらぬ男を祭り上げてしまったものだ」


僕は驚く。やはり、あなたが。


「そうだ。やつも最初はただの東大中退のしがないベンチャー崩れだった。
 シミュレーションを行なうためにランダムにピックアップしたらやつがひっかかった。
 やつの会社を大きくしてみた。上場させてやった。
 そしたらどうだ。やつは己の力を過信した。
 選挙に出る。テレビ局を買収する。恋人をミスコンで優勝させようと画策する。
 これはまだいい。男の夢だからな。・・・しかし。
 ライブドアオートのあのCM、あの男がくるくる回っているだけのシロモノを
 CMとして公共の電波に乗せ、挙句の果てにはユニットを組んでCDデビューを果たす。
 なあ、19号よ。これはちと、やりすぎではあるまいか?」
「私は本当ならばやつにロケットを買わせ、月まで行ってほしかった。
 そのような酔狂ならば私の好みだったのだが。
 この国で最も最初に月の地面を踏むのがあの男だったとしたら。
 これほど皮肉な冗談はあるまい」


エルとの面会の時間は終わってしまった。
私は部屋を出て、エレベーターに乗って地上へと降りていった。
東京は寒かった。僕はコートの襟をそばだてた。


地下鉄に乗ってオフィスへと戻る。
フロアでは大勢の人たちが働いていた。
何も知らない、大勢の人たち。
そしてこの中では僕、19号だけが真実を知っている。