「United 93」

木曜は「一日だけ夏休み」ってことで
昼前まで寝て、その後映画を見に六本木ヒルズへと向かった。
「United 93」が目当て。前から気になっていた。


外は暑い。しゃれならん。
六本木ヒルズも平日だというのに海外や国内の旅行者でいっぱい。
昼休みの時間帯に到着したのでヒルズで働く企業の人たちも大勢歩いていた。
整理券を手に入れると、いったん TOHO Virgin シネマを出る。
古奈屋で海老天カレーうどんを食べたくなる。
いやーほんとうまいね、古奈屋カレーうどんは。高いけど、全然いい。
小ライスを追加して、残ったスープをかけて食べる。これまた、うまい。


その後、青山ブックセンターへ。
再開してからは行くの初めてだった。
いいねえ、ここは。やっぱり。
時間が無かったんでゆっくり眺めてられなかったけど、
ミニシアター系というか前衛(難解?)系の映画監督の DVD
あれこれ見てると欲しくなった。でも、我慢する。

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「United 93」
http://www.united93.jp/top.html


いわゆる、「9.11」を描いた映画。
ハイジャックされた4機のうち、
「目的地」まで到着しないまま墜落したユナイテッド航空93便の機内と
その外、情報が錯綜して混乱に次ぐ混乱の管制塔や空軍での出来事を
リアルに、ドラマ性を排除して描くというもの。
監督は「ボーン・スプレマシー」の、というか
「Sunday Bloody Sunday」のポール・グリーングラス


有名は俳優は一切登場しない。
空港の管制官や連邦航空局の役人たちの何人かは
「実際に」その現場にて事件に直面した人たちを起用。
これがすごい。はまりすぎ。なんか妙に生々しいと思って見てたら本人なわけで。
アメリカでよくやってる、
実在の事件を本人たちが再現する番組の拡大版みたいなものか。
プログラムを読んだら、こういうのって「ドキュドラマ」と呼ぶようだ。


で、見たわけですが。
これは面白い。
不謹慎なこと言っちゃけど、下手なアクション映画よりよっぽど手に汗握る。
乗客がテロに立ち向かい、地面に激突するまでの最後の5分か10分。
臨場感ありすぎ。劇場の大画面で見てよかった。
最初から最後まで時間を忘れて見た。
よくできている。


無名の人たちってのがいいんだよな。
彼ら・彼女たちは最後の最後まで、「その場に居合わせた、普通の人たち」ってのを全うする。
「9.11」以後は歴史のヒーロー・ヒロインとして偶像視されたかもしれない。
だけど事件のさなかにあっては、そんなこと考えてるわけがない。
僕の記憶が確かならば、彼ら・彼女たちはほぼ全編にわたって名前で呼ばれることがなかった。
墜落の迫った機内にて家族や友人たちに
最後の電話をかけるときにはそれらの人たちの名前を呼ぶ。
しかし、彼ら・彼女たち自身は名前で呼ばれることがない。
単数か複数の「You」か、あるいは「We」や「Us」で語られる人たち。
これが普通の映画だったら、テロリストたちに立ち向かう場面の前は必ず、
「俺の名前はジョンだ。オマエの名は?」「ボブと呼んでくれ」
って展開になってがっちりと握手が交わされる。
そういうの、なかった。
そんなことするわけないんだよな、人は。極限状況に陥ったときは。


登場する人物たちは時間をかけたリサーチに基づいて形作られている。
プログラムを買って読むとこれら乗客と乗務員44人のプロフィールが1人ずつ載っている。
残された家族や友人たちからの証言によるものがほとんどで、
(まあ状況が状況だけに相当に美化されているんだけど)
読んでると妙に胸を打つ。
それまでにいろんな人生のいろんな場面を経てきた人たちが
たまたま1つの飛行機に乗り合わせて、それがハイジャックされて命を奪われる。
映画ではそういう背景を一切描かない。
ただその日の朝の出来事だけをカメラで追うことになる。
だけどプログラムを読むと、些細なプロフィールでしかないんだけど、
それらの人たちそれぞれに長い年月の積み重ねがあって、家族や友人たちがいて、
という背景が浮かび上がってくるわけで、この出来事の重みってものが胸を打つ。
年老いた友人たちが旅行に出かける途中だったとか、
恋人同士の2人がともに休暇を過ごそうとしていたとか。
日本人留学生は帰国の途上だったという。


それにしても、こういうアメリカ市民の側から見た「9.11」の映画を見ると
イスラム原理主義のテロリストってのは不可解なこと極まりない。
映画は(僕が見た限りではたぶん)彼らテロリストたちも
虚勢を張っただけの弱々しい普通の人々として描かれていて、それがかえって
「なんでこういうことを起こさなきゃならないのか?ならなかったのか?」
というやりきれない気持ちへと導く。
パイロットから操縦席を奪って操縦桿を握るレバノン出身の若い男は
前の晩必死になってコーランを唱え、
操縦席には雑誌から切り抜いたホワイトハウスの写真を震える手で貼り付ける。
まるでその写真がないとどこにもたどりつけないかのように。
迷いが残る心をくじけてしまわないように。


個人とはどうしてもこうもちっぽけなものなんだろう?
だけどその一人一人の積み重ねが、大きな出来事を引き起こす。
こういう映画を見ると
「歴史とはどうしてこうも無情なものなんだろう?」
そう思わずにいられない。