Answering Phone

こういうことを考えた。
留守番電話の応答メッセージを毎日吹き込んで、別なものにする。
その日その日のちょっとしたコミュニケーションというわけだ。


「ただいま留守にしています。ピーッと鳴りましたらお名前とご用件をお話ください」
ではなくて、


オカムラです。昨日は一日中雨でしたね。今日は晴れるみたいですよ。ご用件をどうぞ」
オカムラです。天気がいいのでこれから新宿御苑に行ってブラブラします。ご用件をどうぞ」
オカムラです。最近仕事が忙しいです・・・、今日も終電かなあ。ご用件をどうぞ」


僕の身の回りの人は僕にこういうキャラを期待してはいないので、
もちろん実践したりはしない。それ以前にめんどくさい。


でもこの広い世の中で一人ぐらいは、これに近いことを
毎日とは言わないまでも定期的にやってる人がいるのではないかと思う。

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嵩じてくると、どんどん文章が長くなっていって
留守電の応答メッセージではなくなっていく。


このご時世、携帯ばかりを利用するようになって
家の電話は引いててもほとんど使わないという若者が多いのではないか?
そうなったとき、家の電話の留守電は
外界との窓口として、実用的というよりは象徴的な意味合いが強くなる。
誰が聞いているわけではないとしても、日記代わりにその日のメッセージを吹き込んでいく。
ある人はシンプルな日記や、日常のスケッチとして。
ある人は孤独のメッセージとして。


オカムラです。今さらだけど、人はなぜ生きているのだろう?と思う。
 最近そのことばかり考えている。誰も答えてはくれない。
 もちろん、日々接している人たちとそういう会話を交わすわけではなくて、
 心の中にしまっている。一人きりになると、いつもそのことを考えている」


そしてこのメッセージは聞かれないままとなる。
たまたま掛けて来たマンションの勧誘の人が聞くだけか。
もちろんそういう人たちは、この手のメッセージに対して、返答を返すことはない。
途中まで聞いて、ガチャッと切るだけである。

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短編のアイデア


主人公はシンプルな日記を留守電のメッセージに綴っていく。
なんとなく思いつきで始めて、いつのまにかそれが趣味となった。
「更新」が滞ることもあるけど、基本的に毎日吹き込むことにしている。
日々のつれづれを。
誰に対して何を求めるわけでもなく。


もう一人の主人公は間違い電話をかけて、たまたまその留守電を聞く。
それは妙に心に残るような文章で、「いいな」と思う。
別の日にかけてみるとメッセージが変わっている。
気になって、また別の日もかけてみる。
毎日聞くようになる。
メッセージを返すようになる。


お互いどこの誰かはわからない。
一方通行のやり取りをおたがいに繰り返すだけ。
それがやがて、・・・


ラブストーリーにもなれば、ホラーにもなりそう。
このテーマ、温めてみようかな。