国立新美術館、東京ミッドタウン その2

(昨日からの続き)


せっかく来たのだからと、
「大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産」と
「異邦たちのパリ 1900 − 2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」両方見ていく。


モネの方。
世界各地に散らばるモネの作品を一堂に集めて、
なおかつモネが与えた影響を20世紀美術の中からピックアップして
それも平行して展示するという内容。
前者は有名な「睡蓮」のシリーズにポスターに使われている「日傘の女」など。
後者はジョルジュ・スーラ、アンドレ・ドラン、
ピエール・ボナールといった時代の近い人から、
マーク・ロスコジャクソン・ポロックゲルハルト・リヒター
ロイ・リキテンスタインといった後代の人たちまで。


面白くもなんともない感想なんだろうけど、
「モネの絵ってきれいだな」って思った。
これまでモネに関心を払ってきたことはなかった。
「あの時代のあの手の絵を描く人(つまり、王道の人)」
「睡蓮がオークションに出るたびに高額で競り落とされる人」ぐらいの認識でしかなかった。
人類普遍の一般的美術基準からして最も美しいと言っていいレベルの絵をこの人は描く。
そのごく当たり前の事実がこれまで僕には見えていなかった。
あの色彩感覚、光の扱い方。
緑は若々しく、川面はゆったりと日を反射している。
美しい風景を、美しく、あるがままに描く。
美術とされるものって長いことそれを目的としていたんでしょ?
20世紀以後はともかく。
でも19世紀最後、その頂点として到達したのはモネなのかもしれない。
そう思った。
決して写実的ではないけど、彼の心の目に映った風景の美しさは永遠に残されることになった。


続いて、「異邦人たちのパリ」の方。
まあ、要するにその名の通り、ポンピドー・センターの所蔵している作品の中から
芸術の都パリに集まってきた外国人たちの絵画を抜き出したもの。
スペインからはピカソ、ミロ、ロシアからはシャガールカンディンスキーなどなど。
日本人としては藤田嗣治の諸作。(改めて作品を眺めたけど、僕はやはり全然好きになれない)
うーむ、まあ、有名な人たちの作品が集まった可もなく不可もない展覧会ってとこか。
オブジェにビデオ作品まであって扱ってる対象は幅広いんだけど、
で、そういうのを作ってる
僕がこれまで名前の聞いたことのなかった人たちの作品はよかったんだけど
結局はピカソで釣って人を集めてるというか・・・
来た人の何割かは新しくオープンした場所だし、
東京ミッドタウンに近いからって理由なんだろうな。
たまには芸術に触れてみようか、ピカソの作品もあるらしいぞ、みたいな。
それは悪いことじゃないし、僕もピカソがあるって言うと見たくなるほうだし。
でもこういうのって「なんだかな・・・」と思わなくもない。
デパートの催事場で駅弁博覧会みたいなのやってて
峠の釜めし」や富山の「ますのすし」に群がるのとなんとなく似てる。
「え?峠の釜飯は今回はなし?じゃ、行かなくてもいいか」


よかったのは写真だな。すごくよかった。
エロティックなマン・レイの諸作に始まり、ブラッサイのほのかな憂いに満ちた影、
パリの風景を切り取ったアンドレ・ケルテス。
そして当時の知識人のポートレートを撮影したジゼル・フロイント。
ポートレートアンドレ・ブルトンヴァルター・ベンヤミン
アンドレ・ジッド、ジャン=ポール・サルトルなど。なんだかえらくかっこいい。
図録から名前を引っ張り出してるんだけど、
イジス、トーレ・ヨンソン、ウィリアム・クラインもよかった。
僕としては20世紀は写真・映画のほうが
現実を切り取って批評的に語る上ではより効果的な手段だったように思う。
その反面、絵画は芸術のための芸術へと向かっていった。


地下のスーヴェニアショップを眺めた後、外に出る。
夏のように暑い日で、日差しが眩しかった。


近くの東京ミッドタウンへ。歩いて5分の距離。
中に入ると人また人で大混雑。
何がなんだかよく分からなくてくらくらした。余りにも洗練され過ぎていて。
これは物を売っている店なのかそれとも展示スペースなのか?
早々に出てしまう。
話の種に見学して終わり。


それにしても美術館の間からそうだったけど
喉が渇いてもカフェの類は長蛇の列、
自販機があるわけでもなく水飲み機があるわけでもなく。
ようやく外の公園で見つける。
公園は公園で大勢の人がいて・・・


まあ、またそのうちブームが一段落したら来るとしよう。


フロアガイドと一緒に配っていたレストランガイド見たら
どの店もゴージャスでため息が出た。
ニューヨークの店が日本に、とか。はあ。行きたいよ。