ツアーでペルー その21(4月24日)

車窓から


5時起き。マチュピチュへと向かう日。
このツアーのハイライト。
先日感じた軽い頭痛と酸欠状態は寝てる間によくなってて今日は感じない。


1階のレストランへ。ビュッフェ。
ソーセージ、ベーコン、ハム、スクランブルエッグ。パンは食べない。
オレンジジュースかと思ったらマンゴージュースだった。
フルーツを多く食べようと思って、みかん、オレンジ、グレープフルーツ、キウイ。
テレビがついていて、音楽番組。ぼけーっと眺めながら食べる。


部屋に戻ってすることもなく、デジカメの写真の整理をする。
5時45分から、6時15分頃まで30分間チンタラと。
その後、今日は暑くなるかもと日焼け止めを塗る。腕、顔、首と満遍なく。
出発は7時のはず。そんで今6時30分ちょうど。
あーまだか、暇だなあと思って
念のため当日のスケジュールをメモったページを見たら
ホテル出発6時半とあった。慌てて部屋を出る。
ロビーには既に誰もいない。
もう行ってしまったのか?置いてかれたのか!?
見るとホテルの外にバスが停まっていて、既にみな乗り込んでいる。
滑り込みセーフ。間に合って出発。
マチュピチュ行けないところだった・・・


この日のスケジュールについて、昨日説明を受けた内容を整理。
鉄道は7時発で11時40分着。
終点のアグアス・カリエンテス駅からバスに乗ってマチュピチュへ。
このバスの定員は30人以下であるため、2台に分かれて乗っていく。
クスコの駅サン・ペドロから次の駅ポロイまでは
箱根の登山鉄道のようにスイッチバック方式。
全部で4回進行方向が入れ替わって、
前になったり後ろになったりを繰り返しながらジグザグに進んでいく。
これが1時間かかる。
帰りもこれだと時間がかかるのでポロイで下りてそこからバスでクスコまで戻る。
それでもホテルの戻りは21時の予定。
マチュピチュ観光は2時間から3時間、
昼食はアグアス・カリエンテスまで下りてからなので15時ごろとなる見込み。


サンペドロ駅に到着する。
マチュピチュ行きの青い車両がホームに入っている。
宿が一緒のクラブツーリズムの元気な添乗員の方が
以前一緒に仕事したのか、「Mさーん!」と声をかける。
やはり日程が一緒。同じ列車に乗ってマチュピチュへと向かうわけだ。


添乗員のKさんから1人ずつキップを受け取る。
事前に車両と座席の番号が決まっている。
僕らツアーはC号車とD号車に分かれて乗車する。
これもリマ行きの搭乗券同様、シャッフルする。
今回は完全にクジ引き。2人組の人たちと1人旅の人たちとで別々に。
僕はD号車となる。もともとD号車で、座席番号もほとんど変わらなかった。
固まって乗り込もうとすると、切符がDの人はDに乗ってくださいと車掌が強く主張する。
僕らは切符はそのままで、座席だけ交換するつもりでいた。
切符はDなのに座席はCとなった人たちがいったんDの元々の席に座る。
後で席を変わればいいでしょうと。
しかしCとDの車両の間のドアが開くことはなく、鍵のかけられたまま。
走り出したら開くと言われるも、
車両間の連結部分はむき出しで壁などあるわけでもなく、
足がふらついたら高速で走っている列車から転落して地面へと激突してしまう。
席を変われないんじゃないか・・・と暗雲立ち込める。
それ以前にCとDに分かれた人たち同士で連絡が取れない。
携帯があるわけでもないし、通じるわけでもない。
とにかく列車が走り出す。
周りは欧米人の観光客ばかり。


クスコの町外れの山の斜面を線路が通っていて、
その上をのんびりと列車が進んでいく。
えらいトロトロとしていて大丈夫か?と不安になる。
走り始めたばかりでエンジンがかかっていないのか、それとも急斜面だからか。
家々のすぐ目の前をかすめていく。
家の壁は赤茶けた色をしていて、屋根もまた、そう。
これは日干し煉瓦の色なんだろうな。赤茶けた土の色そのまま。
しかもその家々が密接したままくっつきあっている。
気の向くままに四角い土の塊が増殖したかのよう。


屋根の上に十字架を立てている家が多い。
十字架の脇に魔よけとして牛の人形を置いている家もあれば、
ごくたまにだけど買うだけのお金がなかったからか、
なんらかのユーモアなのか、ぬいぐるみを置いている家もある。
作りかけや壊れかけの家がけっこうある。
斜面のわずかばかりのスペースにやっとのことで立っているあばら家を見かける。
屋根はクスコ市街とは変わって、瓦ではなくなる。トタンのこともある。
紐が渡されて洗濯物がかけられている。
あちこちにゴミが散らばっている。
貧しき人々が住む地域。


少し進んだらいきなり列車が停止。おや?と思う。不調?
またすぐ走り出す。逆方向。引き返すの?
「あ、これがスイッチバックか」と気がつく。
窓の外を見ると線路が平行して走っている。これまで来た方。
少し進んではまた止まって、逆方向へ。
そんなスイッチバックを何回も繰り返す。全部で4回か。
同じ景色を行ったり来たりする。しかし見るたびに高度が上がっている。


野良犬がこちらを見ている。
近くに住んでいるのだろうか、線路の上を歩く人がいる。
列車に向かって手を振る。
色褪せた看板に大きな文字で「FUJIMORI PRESIDENTE」と書かれている。
日干し煉瓦を作っている親子。
パラボラアンテナがポツリポツリと立っている。
列車に乗って30分、依然としてクスコの家並みが続く。どこまでも続く。


山の斜面にへばりつくようにして暮らしている人たち。
こういう場所でどうやって生活しているのだろうと思う。
田畑は見えないし、工業の気配もない。
やはり観光−物売りに携わっているのだろうか?
自家用車を持ってるわけでなく、バスが走ってるわけでもなく。
クスコ市街や昨日の夕方見たサクサイワマン遺跡まで朝と夜、トボトボと歩いて。


山が深まってゆくと一戸建てが増えてくる。農家なのだろうか。
原っぱを牛や豚がぬーっと突っ立っている風景も増えてくる。
番をする子供が牛の群れの側でボールを蹴っている。
刈り入れが終わったのか、地面から突き出た部分が枯れて萎びたトウモロコシの畑。
それが次から次に現われては消えていく。
大勢の人々が川の中に入ってオレンジ色の作物を洗うか何かしているのが見えた。