「断絶」「フランドル」

この前の金曜、映画部の社内鑑賞会で「断絶」という映画を見た。
社内鑑賞会って言ってもこの日見たの僕だけ。
なので、DVD を買ったばかりで自分が見たかったのを流した。
プレゼンルームの大きなスクリーンを独り占め。ホームシアター状態。
こんなことしてるのも僕だけだろうな・・・


「断絶」とは71年のアメリカ映画。
いわゆるアメリカン・ニューシネマの系譜に属して語られる。
見たところ全くもって、そう。それ以外の何者でもない。
でもアメリカン・ニューシネマの定義って難しいんだよなあ。
何を持ってそう呼ぶか?
60年後半以後のカウンターカルチャーを反映した、新しい世代の若者たちを描いた映画?
そういうことにしておく。
でも大事なのは内容じゃなくて
フィルムに焼き付けられて残された独特の雰囲気というか空気なんですよね。
あの乾いた、そしてどことなくピュアな。
生き急いでるのに気怠るくて、どこか不安げな。
大人びた子供が本物の大人の社会を垣間見るときのような、あの感覚。
「断絶」が今も語られてるのって、この空気の捉え方がうまかったからなのだと思う。
「ああ、この時代ってこうだったんだなあ」ってのが。
それは結局のところ虚構なのかもしれない。映画が生み出した虚構。
実際の71年のアメリカの本質はもっと別のところにあったのだと思う。
だけどそれはそれでいいんですよね。
本当の姿がカウンターカルチャーが生み出した幻想・神話に置き換えられてしまったとしても。
それこそが映画、ひいては「文化」というものなのではないか。


作品としてはひどく単純。
2人の若者が55年型のシボレーに乗って、賭けレースで金を稼ぎながらアメリカを東へと横断する。
その途中でヒッチハイクをしている若い女を拾う。
黄色の最新型 GTO に乗った中年の、人生の敗残者らしき男と出会い、
どちらが先にワシントンDCまで到着するか互いの車を賭けた競争となる。
しかし彼らの間には「賭け」以外なの何か別の行動原理が働き、
(恐らくここがアメリカン・ニューシネマの傑作として長く議論のポイントとなっている箇所なのだろう)
当てのない旅のような様相を呈し始める。
しかしこれと言って心の交流があるわけでもなく、ただただ車を走らせ続けるだけ。
4人は出会ったときと同様、何の理由もなく突然別れの時を迎え、
2人の若者はそれまでの日々がそうであったように、賭けレースが行われている場所を探す。


全編に渡って、からっからに乾いた虚無感に包まれている。
そこには絶望はない。感情というものが一切ない。
単純な言葉のやり取りを交わした後は
車を運転するという行為とそこから見えてくる光景だけ。
アメリカン・ニューシネマの極北。
イージー・ライダー」の時代感も
バニシング・ポイント」のけれん味もない。


シンガーソングライターとして当時絶大な人気を誇っていた
ジェームス・テイラーが「ドライバー」役として出演、
ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンが「メカニック」
ワイルドバンチ」に出演していたウォーレン・オーツが「GTO
それぞれ名前がない。名前で呼ばれることのないまま、映画が終わる。
スクリーンに現われては消えていくだけの、束の間の儚い存在ってことなんだろうな。
口数少なく、終始何かに憑りつかれたかのような顔つきをしてみせる
ジェームス・テイラーがこの虚無感を体現していてとてもいい。


映画というものは饒舌に何かを語っていればいいのではない。
ただそこに「ある」というだけでも優れた作品ならば表現として成立するのだ、ということ。
そしてそういう言葉にならない何かを光景と音で描くのがそもそも映画なのだ、ということ。


アメリカという国に見果てぬ荒野を夢見る。
ひどく単純化するならばここにあるものもまた、カウボーイの神話である。

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今日は「フランドル」という映画を見てきた。
場所は渋谷のユーロスペース
(ここんところずっとご無沙汰で、移転してからは初めて)


http://www.flandres-movie.com/


昨年のカンヌでグランプリ。
以前「ユマニテ」という作品もグランプリを獲得している。
僕はこれまで見たことないんだけど、
もしかしたらこのデュモンという監督は
映画の新しい在り方を提示してくれるかもと期待して見に行った。


結果、よく分からず。
ここまでよく分からない映画も久し振りだ。なんなんだろ?


映画が描けるもの、描くべきもの、描けないもの、描くべきではないもの。
その組み合わせ方が普通の映画(ゴダールからブラッカイマーまで)とあべこべになっているようで、
僕は終始違和感を感じた。
新しい文法を生み出してて、僕がまだそれを「理解」できてないだけ?


なんでも出尽くしたこのご時世に
これだけの異物を生み出せるってことがそもそも凄いのかもしれないけど。


結局「何が」起こったのかよく分からない。
見方によっては非常に普通の映画。淡々としてて。
伝えたかったのはものすごく単純なことなのだと思う。
でもそれってわざわざ90分かける必要があっただろうか?
長すぎないか?もったいつけてないか?
少なくともこれはキャッチにあるような「愛の寓話」ではない。
「愛の寓話」以外の何かだ。あれが愛?あれが寓話?


気になって仕方が無いから amazon で「ユマニテ」のDVDをオーダーしてしまった。
監督の思うツボである。