この前の木曜、例によって会社を休んだ。
(週休3日〜4日の天国の日々も先週が最後か・・・)
休みの日はずっと小説の作業が続いていたけど、
それも休みたくなり、映画を見に行くことにする。
「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」と「大日本人」
http://movies.foxjapan.com/borat/
http://www.dainipponjin.com/
「監督ばんざい!」と「ゾディアック」と計4本で悩んだ結果、
「監督ばんざい!」がつまんなくて一番がっかりしそうで、
「ゾディアック」は当分やってるだろうという理由で排除。
見たのは渋谷。Q-AXとシネ・アミューズだったので近かった。
-
- -
「ボラット」はつまらんかった。
キャラクターそのものはいいんだけど、
映画がなにしろ貧相で。金かかってないんだなあ。
もっとハチャメチャなものを僕は期待してた。期待し過ぎてた。
もっと下品で悪趣味なんじゃないか・・・
以外と上品だよね、これ。
バラエティー番組であれこれやり過ぎてるのを見慣れてる
今の日本人には、かなり物足りないと思う。
素人どっきりものなら、日本の方が質が高いんじゃない?
というか英語がネイティブじゃないと面白さが半減するのかな。
いや、それだけじゃない。
この映画にはパワーが足りない。勢いが足りない。絶対そうだ。
そりゃもちろんところどころケラケラ笑ったけどね。
一番面白かったのは、冒頭のカザフスタンのシーン。
後は、ひたすら地味。
この映画が社会現象になるアメリカってよくわからない。
文化の違いですか?ああ、そうですか。
-
- -
「大日本人」は全く期待してなかったので、むしろそれが幸いした。
今、あちこちの映画評でみんなよってたかって
「つまらなかった」って書いてるじゃないですか。
僕にとってはそんなひどいもんじゃなかったですよ。
でも、あんなふうに書きたくなる気持ちもよくわかる。
①映画=芸術、ないしは映画=娯楽の二元論でモノを語る人
②松本人志が作るのだから、腹よじれるほど笑えて当然と思ってる人
③よくわからんがハヤリのものなので押さえておかなきゃという人
ってとこなのかな。
少なくとも①②については今回さらっと裏切って見せたわけで。
まあ、いいんじゃない?ああいうのもありだと思うよ。映画=表現ってことで言えばね。
でも他の人があの撮り方やスタンスを真似したら、「オマエ馬鹿じゃないの?」と思う。
映画ってつくづく枠組みってものが
きっちり決まっている表現形態なのだなということを再認識させられた。
例えばマイケル・ムーアが過激だ、としても
その作品はちゃんとドキュメンタリー映画の枠内にすっぽり入っている。
映画で何を語れるか?についてはこれからも追い続けるんだろうけど、
どう語れるか?についてはたぶん革新を求めてない。
自分自身の撮り方も固まっただろうし。
そんな中、この「大日本人」は逸脱しまくってて。
これ、松本人志が一人でカメラも照明もやってたらもっとトンチンカンな映画になったはず。
日本映画界で日々仕事しているスタッフたちが集まって手伝ったから、
土台の部分では可もなく不可もない、何の変哲もない映画に仕上がった。
だけど、そこに乗っかる上物の語り方がやはりペース崩してて、不自然。
そこのところが全体的にアンバランス。
そういうのひっくるめて松本人志の味ととるか、どうか。
・・・僕は単純に松本人志は映画音痴なのだと捉える。
(学生時代の僕もそうなので、偉そうなこと言えませんが)
はっきり言って才能はないと思う。
でも、もし松本人志が撮るってことで出資してくれる人が出てきて
2作目や3作目がありえるのなら、是非とも撮ってほしいし、僕は見に行く。
音痴ではあっても運動は特異だとかさ、人の魅力はいろいろあるわけで。
そこのところうまく引っかかる「何か」ってのが松本人志の映画にはあるんだよね。
少なくともクスクス笑えるだろうし。
腹抱えて笑うことは一切なかったけど、僕は終始クスクス笑ってた。
あれでいいよ。
僕の隣に座ってたいかにも渋谷なヒップホップで肌露出過剰なカップルは
僕なんかより素直に、ゲラゲラ笑ってた。
-
- -
話は変わって。
木曜は会社休んで渋谷で映画を見た後、
会社の人たちと銀座松坂屋の屋上のビヤガーデンでジンギスカン食い放題。
たらふく食った。頑張ればもっと食えたけど、時間切れ。
ダーツやってカラオケ行って、終電逃した・・・