先日、Gazz ! にちょっと触れましたが、
今から2〜3年前、オープンしたばかりの頃のここによくレビューを書いていました。
誰にも読まれることなく埋もれてしまうのはもったいないので、若干修正してここに再録します。
(というか、土日に結婚式で京都行って何も書けないので手抜きです。すいません)
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■[音楽] 小島麻由美 「Me And My Monkey On the Moon」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005HP68/
90年代までのベスト盤。
僕がこの世で最も切ない曲だと思っている「ぱぶろっく」が収録されている。
この世で最も優れた歌詞の1つだとも思っているので、引用させてください。
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あなたといると とても楽しいの。
他の人が呼びに来るまで
私といましょう。
踊り疲れたら 冷えた飲みものを
私 今とりにゆくからね
イスに座ってて。
みんな私のこと なんて呼ぶか 知ってるわ。
口紅 なおしに 鏡に向かう。
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小島麻由美を聞いた人は口を揃えて「彼女は天才だ」と語る。
僕もそう思う。
だけど、「椎名林檎の登場によりブレイクし損ねた」
というのは的外れだと思う。
小島麻由美はいついかなるときも
日陰の女なのだ。
日陰の女でなくてはならないのだ。
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ちなみに、以前タワレコのインストアライブに行ってみたら
とんでもなく天然な人でした。
ギターは元ネタンダーズの塚本功でした。
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■[音楽] GOING STEADY「若者たち/夜王子と月の姫」
http://www.amazon.co.jp/dp/B00007LLD6/
天然で本気な若者を見かけると人は目を奪われてしまう。
特にその若者が表現活動なんかしてたりすると。
普通、人は大人になると知恵がついて薄汚れてしまって、
程度の差はあれ何事に対しても斜に構えて手を抜くようになる。
そんな大人たちからすれば、彼らのことが眩しくて仕方がない。
要は自分の気持ちにどこまで素直に正直になって行動できるかってことに対し、
彼らは/彼女たちは素直に正直になって本能的に答えを出してしまうのだということ。
清々しいくらいに。何の迷いもなく。
そんなこと、もう僕らにはできない。
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Going Steady はブルーハーツの存在感に
最も近付いたバンドだと僕は思っていた。
(他に挙げるとなったら、ハイスタしか思いつかない)
余りにも正直すぎたがゆえに
自らの何事にも納得がいかなくなって自爆的に解散してしまった。
らしいといえばらしいけど、大人の僕からしたらもったいなかった。
でも、これでいいんだろうな。
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銀杏BOYZのアルバムも出たけど、
どこをどう聞いても Going Steady の方がキラキラと輝いている。
(まあ、銀杏BOYZはその分ギラギラしてるけど)
この頃のシングルはほんと切ない。
まっすぐで正直で。
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それぞれシングルでしか出てないので
まとめて聞こうというときにめんどくさい。
一枚になって再発されないかな。
銀杏BOYZで再演されたのでそれはもうないのかな。
もったいない。
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■[音楽] 「memories of sasaki san」
ちょっと長くなるけど、Yuichiro Fujimoto 氏の解説が
非常に的確なので(抜粋して)引用します。
「佐々木はいわゆるミュージシャンでもなければアーティストでもない普通の女性で、
デザインなどを仕事にしているが、
音楽を学んだこともなければ、楽器を演奏した事もない。
恐らく、普段音楽を(CDを買って)聴くという事もほとんどしていないだろう」
「佐々木は自分の携帯電話に着信メロディーの自作機能がついている事を見つけたときから、
ずっと日々の日記のような感じで作り始めた。
その作業は(作業と言ってしまったほうが似合うのだ)、
音を作り終えるまで全く聴かずに、自分の中で決められたルールで、
メールを打つように組み立てていき、あっという間に一曲は完成する」
「このCDは佐々木の曲に、彼女の曲を素材として世界中の様々なアーティストに送って
彼らの解釈で作り直してもらった曲のコンピレーションである。
ただのリミックスアルバムではなく、彼らはそろって彼女の曲を気に入り、
楽しんで自分たちの音楽に取り入れて作り直した曲を提供してくれ、
トータルでちょっといい雰囲気をもったものとなった。
もちろん彼女の音をようやく世に出す事が出来た事に一番大きな喜びを感じている」
まず、世の中にこういう「音」が存在するのだということに驚く。
勇気が出てくる。何かがほんのちょっとおかしくて、くすっと笑ってしまう。
たぶん最初はなんかの冗談だったのではないか。
ユーモラスな着想があって、それを淡々と続けていって、
いつの日かそれがこの世界にちょっとずつ広まっていく。
素晴らしいことだと思う。
日記のように綴っていったというのがいい。
彼女の音を聞いた世界のいろんな国の人(ドイツ、スペイン、韓国など)が
彼女の音と戯れてまた別なものを生み出して返信したという展開もまた、素晴らしい。
世の中には「コラボレート」という言葉が氾濫しすぎているが、
これこそ真の「コラボレート」だと思う。
普段流通している、店頭に並んでいるCDの音楽ってのが
いかに制約が多くて不自由なものなのか思い知らされる。
この世の中にはたくさんの「音」があるのに、
ユニークで心地よいものはもっとたくさんあるはずなのに、
僕らが目にして手に取ってトレイの中に押し込む音楽は
そういう意味ではどれもこれも似たり寄ったりだ。
メロディーと楽器の構成と演奏する人が違っているだけ。
その背後にある何か大きなものは、どれも同じ。
もっと聴きたい。何よりもこの佐々木さんの原曲だよね。
オリジナルなものは、まだまだいくらでもこの世界には転がっている。
見つけてないだけ、見つかってないだけ。
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AOKI Takamasa とツジコノリコの、現在フランス在住の2人による「28」の後に聞いた。
なんだかよく似ている。
音楽をつくりたいという気持ちの根底にあるものは一緒だと思う。
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■[音楽] 豊田道倫「東京の恋人」
http://www.amazon.co.jp/dp/B000BX4BFG/
僕としてはこの作品、2005年の邦楽No.1だったりする。
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世の男性には2つの種類が存在する。
・自分の男としてのかっこ悪さに気が付いてしまい、常日頃情けなく思っている
・気がつかないので、そんな情けなさと無縁な日々を送っている
(後者は、気付く必要のない幸福な人と、全くもって鈍感な人の2つに分かれる)
もちろん僕は断然、前者である。威張って言うことでもないが。
そんな僕のような女々しい男性には
パラダイス・ガラージこと豊田道倫の弾き語りはものすごく心にしみる。
あの声。あの歌詞。真実を宿している。
何よりもまず曲のタイトルが素晴らしい。
いくつかのアルバムからピックアップしてみる。
「ベッドルームから愛をこめて」
「初恋の人は近所に住んでいる」
「カーネーションならこんな毎日をどんな風に唄うだろう」
「あなただけに僕、愛されたいのです」
「キリスト教病院」
「ファッションヘルス、ガールフレンド、携帯電話」
「早朝、女子アナの乳房に触れて眠る夢を見る」
「君とやるまで」
「抱いてくれたひと」
「移動遊園地」
「海を知らない小鳥」
「つめたい弁当」
「僕は間違っていた」
「雨のラブホテル」
「東京ファッカーズ」
「あの汚くなった靴をあの娘はひとりで買ったのだろうか」
「抱きしめた」
「人間よさようなら」
「顔も身体もタイプだった」
「この街ではじめて友達が出来た」
「Vシネマ、カウンターで」
つまり、正直に自分の思ってることをそのままタイトルにしている。
普通こんなこと歌にしないよ、歌詞にしないよ
ってことも何の臆面もなく歌にする。
ありのまま。自分の生き様を、生活を、そのまま聞く人に伝える。
こんなこと、できそうでなかなかできない。
そこにはキレイゴトの類は、一切ない。
汚れてるわけでもない。
ただ単に純粋な、剥き出しの希望とか欲望である。
以前出たベストアルバムの初回盤には
AV界の鬼才というか吟遊詩人であるカンパニー松尾氏による
映像集のDVDがくっついていた。
AVの監督だからといって裸の女性が出てきてアンアン言ってるわけではない。
一言で言えば、ライブであちこち旅する姿を淡々と追った記録。
私的な物事を、かっこ悪いことも情けないことも全て包み隠さず、
何の虚飾も加えず差し出すという行為を突き詰めて
どんどん研ぎ澄まさせていった2人によるコラボレート。
「叙情」というものが堰を切って溢れ出ていて、
男なら心動かさずにはいられない。
普通に暮らしている普通の女性にはお薦めしません。
(こういうの聞いてることも、女性にはあまり言いたくありません・・・)