それが、さよならだった日

昨日の夜、丸の内線に乗っていたら若い女性が2人乗ってきた。
派手な色のヒラヒラしたドレスっぽいものを着て、髪を上げている。
目の前に立っていたので、話していることが聞こえてくる。
女子大の謝恩会の後のようだった。
2人は同じ寮に住んでいて、そのうち1人は明日というか今日引越しで寮を出て行く。
「社会人になっても休みを合わせて一緒にどっか旅行行こうよ」とか
「××に住むんでしょ?だったら会おうと思えばいつだって会えるよ」とか
キャッキャと楽しそうに喋っていた後で
ふとした瞬間に急に2人とも黙りだして、
「今日でお別れなんだね」「あっけないね」としんみりしだした。
「今日会った友だちと言ってることの8割が一緒に写真撮ろうよだった」
「みんなでシャンデリアの下で撮った、あれが最後になるんだよね」
新宿駅で1人が下りて、バイバイとなる。
手を振り合って。「じゃあね」と。


切ない気持ちになった。
もっと正確に言うと、切ない気持ちを思い出した。


今思えばあの時が、あいつと、あの連中と、あの人たちと、会った最後だった。
高校の部室や大学の寮で毎日のように顔を合わせていて、
その渦中にいるときは暗黙のうちに、それが永遠に続くかのように感じていた。
改めて連絡先を聞く必要性など思いもしなかった。
今、別れのときがすぐそこに迫っていてそれぞれが新しい世界に踏み込んでいく。
そんなときであってもいつも通りのなんてことのない会話を続けていた。
時間が来ると「バイバイ」「じゃあな」って手を振って。
そしてそれっきり。


いや、もちろん、新しい連絡先を交換し合っても
いつのまにかやりとりが途絶えて音信不通になった。
そういう人たちだって大勢いる。
実際、そんな人たちばかりだ。


今ここで日々接している人たちともいつか別れのときが来る。
誰か1人がいなくなるのかもしれないし、僕がいなくなるのかもしれない。
ああ、あの人ともっと話しておけばよかった、こんなことを話しておけばよかった。
もっと仲良くなっておけばよかった。
そんな気持ちになるんだろうな。
何人かはお互い連絡先を知らないままになって、何人かは知っていてもいつか途絶えて。
これまでの人生がそうであったように。
寂しい気持ちになったところでどうすることもできない。


生きていくって、そういうことの積み重ねなのだと思う。
ぼんやりと、いろんなことを後悔して。諦めていって。
勇気が足りなくてできなかったこと。
僕が間違っていたこと。
その1つ1つを1人きりの夜に思い出して、数え上げていって。
そして他にどうすることもできないから、眠りについて明日を迎える。
その、繰り返し。
果てしない、日々。


せめてその日が来たら、ちゃんと「さよなら」が言えるように。
「さよなら」を言いたくないのなら、
掬い上げた両手から零れ落ちていく時間というものを
もっと思いやるのだということ。