「ブヴァールとペキュシェ」

「彼等は気球にでも乗って、夜の凍るような寒さの中を、
 はてしれず底なしの淵へ運ばれてゆくような気がした」


フローベール作、岩波文庫
ブヴァールとペキュシェ」(中)p.158より。


郊外の村に引っ越した中年男2人が
道楽で何の脈絡もなく様々な学問をつまみ食いしては
放り投げていくというただそれだけの話。
全編を通じて彼等は何の成長もしない。
ただ、年老いたというだけ。


例えば、哲学にはまった彼らは神とは何か考える。
考えるうちによくわからなくなって、飽きて、捨てる。
そして今度はするつもりもない自殺の仕方を研究し始める。
万事がそんな調子。
変わり者扱いされて周りの人たちから嫌われ、バカにされる。
なのに彼らはそのことに気づかない。


小説や物語として面白いかどうかは別として、
この作品が描ききってしまったことによって
20世紀以後の文学が描かなくなった領域ってやつが
確実に存在するのだと思う。


全てが茶番で、全てが空騒ぎ。
しかも、読者にとって面白くもなんともない。
登場人物だけの、自己満足。
読んでて、「ああ、これはどこにも行き着かないんだ」と気づく。
ある意味、文学の極北。
得体の知れない薄ら寒さがあって、ぞっとした気持ちになる。


未完にして、遺作。
とてつもない負の遺産を投げかけて、
フローベールは死んだというわけだ。
どれだけの知識を詰め込もうと、どれだけの言葉を費やそうと、
登場人物が何を思い、感じ、考えようと全ては戯言。
文学とは基本的に無意味なものであるとここに宣言してしまった。
(しかも、フローベールらしく冒頭に挙げたような美しい文章が
 ところどころ顔を覗かせるのだから、かなりタチが悪い)


ブヴァールとペキュシェの送った人生は我々の人生そのものだ。
ここまで的確に言い当てられると、そこには気まずい思いしか残らない。
四方田犬彦も言っている。
ブヴァールとペキュシェはわたしだ」
http://book.asahi.com/mybook/TKY200707040291.html

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お客さんと飲んでて、「絶対読ませたい」と言われて借りた本。
確かにこれはすごかった。