「海辺のカフカ」

今回の青森帰省ではちょうどいい機会だと「海辺のカフカ」を読んだ。
最初のうちは全く入り込めなかった。
主人公の少年カフカの家出の話と、猫と会話できるナカタさんの話が交互に語られるんだけど、
なんかもうどうでもよかった。
特に前者の少年の話には「またか」と思った。
村上春樹を呼んでいて「うーん・・・」と感じる箇所を純粋培養して結晶化したような少年だった。
小説の出来としても、80年代の諸作と比べて明らかにトーンダウンしている。
早い話が、ゆるい。
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のすっとぼけた続編に思えた。


それが、上巻の終わり頃で物語の全貌が見え始めて、そこから一気に突き進んでいく。
さすがだな、と思った。そこから先は読んでてあっという間だった。
このブレイクスルーのポイントの辺りで、「星野さん」という若いトラックの運転手が登場する。
この星野さんがいい!とてもいい!!
久々に村上春樹の小説で印象に残った登場人物だ。
感情移入して読むことの面白さを味わえた。
何がいいってアロハシャツを夏も冬も着ているところだ。
こだわりはそれぐらい。深遠なこだわりで読者をケムに巻いたりしない。


主人公のカフカ少年は村上春樹の思想や苦悩を一身に体現していて、正直、読んでて辟易する。
例によって女性にもてるし。
思い悩んでるだけで向こうからミステリアスな美女が寄ってきて、静かなサラサラとした性行為へと発展する。
なんやねん、と思う。
いいから学校行って授業受けてろ、他人に合わせることを学べ、社会について語るな、と言いたくなる。
Prince も Radiohead も聞くな。売れ線の J-POP を不法ダウンロードして聞け。
金かけてトレーニングジムに通うんじゃなく、その辺をランニングしてろ。
そう、彼は特権階級なのだ。
貴族の少年がよく手入れされた森にある朝鴨猟に出掛けて、
「犬がうまく走ってくれない、なんだか悲しそうな顔をしていた」と言ってるようなもの。
つまり一言で言うと、「だからなに?」


その点、星野さんはこっち側の人だ。
世の中退屈なことばかりで、時間を持て余している。そこに意味を求めない。
よく分からないことについてはよく分からないと言う。かっこつけない。
分からなくても困らないと割り切っている。
その星野さんがですね、物語の中でほんの少しだけ成長するんですね。
ベートーヴェンを聞くようになったとかそれぐらいだけど。
そこがいい。「海辺のカフカ」に希望があるとしたら、そこだと思う。
15歳の少年が世の中と対峙するために戻ってきたとか、そんなのはどうでもいい。
それって結局は自意識過剰な「村上春樹的世の中との対峙」でしかないんだから。


一番感動したのは、最後の方で星野さんが
「これからは困ったことがあったら、こんなときナカタさんだったらどうするだろうって自問してみるよ」
みたいなことを言う場面。その清々しさ。
他人を受け入れることの何たるかを身をもって知る時って、人生の中でも最も重要な出来事の1つじゃないですか。
そうだよな、と思った。悔しいけど、僕はまたしても村上春樹に負けた。
思わぬ伏兵が助演男優賞ものの働きをしてくれた。
このセリフを言わせたいがために、ナカタさんの物語があったのではないか。
ジョニー・ウォーカーを殺して、中野にアジを降らせて、昏睡から冷めたら読み書きができなくなって。
そんな出来事の1つ1つが、ナカタさんの人生の全てが、
次の世代の若い人にナカタさんという存在をわずかながらも伝えることができた、その一瞬に集約される。
その(奇妙奇天烈な)人生は無駄ではなかった。
僕はそこに、感動した。


村上春樹の最新作「1Q84」が今月末発売されるみたいですね。
書店に行けばその大きなポスターが目に付く。
これ、またしても悔しいけど、タイトルがものすごくいいよね。
やはり読むんだろうなあ。
ジョージ・オーウェルになんか関係するのだろうか。
というか遂に正面切って、かつての当事者として、追想としての80年代を描く?


いや、その前にまずは「アフターダーク」を読まなければ。