「グラン・トリノ」

この前の土曜、「グラン・トリノ」を見に行った。
クリント・イーストウッド監督、主演。
この作品を最後に、主演はしないという。
その最後の姿を堪能する。


朝鮮戦争で兵役に就き、その後フォードの工場で50年働いた男。
息子たちとの折り合いは悪く、住んでいる地域もメキシコ系やアジア系ばかり。
そんな中、隣にモン族の家族が越してくる。
最初は苦々しく思っていた男も、少年とその姉に心を開くようになり・・・
しかし、起こってしまった暴力の連鎖。


クリント・イーストウッド監督の昔の映画、
特に「ペイルライダー」や「許されざる者」といった西部劇を見ている人ならば
最後、主人公の取った選択に「あっ」と思ったのではないか。
予想とは正反対の展開を迎える。
見てて、あのときのような結末を想像して、「救われないなあ・・・」と思う。
しかし、それとは真逆の「救われないなあ・・・」に着地してしまった。
どちらにしても、ハッピーエンドじゃない。
とはいえ、「グラン・トリノ」の選択はこの時代にあるべき、美しい理想を描いていた。
手垢にまみれた言い方になるけど、
9.11以後の暴力の描き方として、やはりああなるべきなんだろうな。


どうにもやりきれない結末。
しかし、「ミスティック・リバー」や「ミリオンダラー・ベイビー」ほどの強烈さはない。
特に「ミスティック・リバー」はとてつもなく大きな、得体の知れないやりきれなさが残った。
全体的に小さくまとまっていて、上記2作から比べると隙間が多かったと思う。
緻密な計算を求めて構築するのはやめて、目の前のものをあるがままに撮った。
そんな印象を受けた。


個人的には「チェンジリング」よりもこちらの方が好き。
クリント・イーストウッド本人が出ているから、ってわけでもないけど。
なんなんだろうな。等身大の映画だからかな。
人間味が感じられた。
これまでの作品にそれがないわけではないけど。
なんつうか、出世作の「荒野の用心棒」とか「ダーティー・ハリー」を皮切りに培ってきた
男「クリント・イーストウッド」の鋼のような強さみたいなもの、
その虚像を監督作品にも色濃く投影していた。
それが今回は、そこに頼らずに映画を撮ってみたというか。
うまく言えない。


コメディ映画ではないけど、主人公の世の中とのズレッぷりや
周りの人たち、特にモン族の人たちとの会話の噛み合わなさっぷりで場内、笑いが絶えなかった。
あちこちでクスクス笑ってる。
クリント・イーストウッドの映画で笑いが起きるなんて・・・
なんだか不思議だった。


78歳のクリント・イーストウッドの姿、やはりかっこよかった。