「ワルキューレの騎行」

「ロックは飽きたなあ。何聞いても一緒だなあ」という感覚が僕の中で生まれつつあって、
その代わりに所謂クラシックとされる音楽を漁っているときのほうがスリリングな気持ちになる。
ロックは僕なりにそれなりに極めてしまった。
中学や高校のときのワクワクとした出会いはもはや、ない。
ゼロとは言わないが、労力の割りに報われない。
そんな中、あのときの感覚を思い出させてくれるのがクラシックだということ。
そのコーナーにはたくさんのCDが並んでいるのに、知らないアイテムばかりだ。
というかほとんど知らない。
その中から面白そうなものを選ぶという感覚。
ジャケットのデザインだとか、どっかで聞いたことのある名前だとか、
とにかくピンと来たものを買ってみる。
自分の中で何かが研ぎ澄まされる。
詳しくなっていくという過程が、心の底から好きなのだと思う。


(このご時勢、クラシックを聴くという行為の方がラジカルだ、とかそういうことではない。
 そこまでの話ではない)


前よりは知識が増えてきて、
先日神保町でフルトヴェングラー指揮のワーグナー作曲「ワルキューレ」4枚組を見つけたとき、
「これ、すげーんじゃね?」「買っとかなきゃ」と思うまでにはなった。


ワルキューレの騎行」が聞きたい。
どこかで耳にしたことがあって、誰でも知ってる曲。
というか、「地獄の黙示録」でヘリコプターの編隊が
ジャングルにナパーム弾を打ち込むときにバックで流れる曲。
聴いてるとものすごく気分が盛り上がる。
これ、フルトヴェングラーが指揮したら
禍々しさに満ち溢れ、この世のならぬ魔境を描き出すのではないか?
そう思って聴いてみたら正にその通りだった。
荒れ狂う空の彼方から舞い降りる戦いの女神たちの姿が思い浮かぶ。
ゾクゾクした気分になって、このところ「ワルキューレ」第3幕のCDを毎日聞いている。
これに比べたら「地獄の黙示録」で聴けるのは、アメフトの試合のBGMみたいだ。
まあ、あの映画ではその方が合ってるんだけど。


フルトヴェングラーの指揮には
ワーグナーの狂気と真正面からぶつかって、飼い慣らし、解き放つ、そんな凄さがある。
壮大な作品の、オペラ的メロディーや物語の雰囲気ではなく、
何よりも「壮大さ」そのものが伝わってくる。世界観というか。
そこに圧倒される。
音楽はここまで表現できるんだ、という。
この醍醐味、確かにロックにはない。
優れたパフォーマースタジアム・ロックででかい音を出していればいい、というものではない。


光と闇の間で蠢くものがそこに見える。
人間の喜怒哀楽を超越した、もっと根源的な宇宙の原理が描かれている。