「熊野集・火まつり」「書を捨てよ、町へ出よう」

以下、2月末、編集学校の教室にて書いたこと。


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中上健次「熊野集・火まつり


先々週、和歌山出張。
和歌山と言えば中上健次ということで、
新宮や熊野を舞台にした小説とエッセイを集めた「熊野集」を
行き帰りの新幹線の中で読む。


でも訪れてみて分かったんだけど
出張先として行った和歌山市中上健次の生まれ育った新宮市って
同じ県だというだけであって全然別モノっぽいんですね。
やさぐれた若者たちが町を捨てて出て行く先は
大阪や名古屋。和歌山市ではない。
全然違う文化圏なんだろうな。


和歌山市は良くも悪くも何もないところだったなあ。
デパートは駅前に1つあるだけ。
店の集まる繁華街は別にあるみたいなんだけど、
そこにあったデパート3軒がここ数年、不況で倒産したという。


和歌山城の目の前のホテルに一泊した僕は
翌朝天守閣に上って町を見下ろす。
何の変哲もない地方都市が広がる。
故郷、青森を思い出す。
同じぐらい、何もない。


小さい頃、港の裏にある飲み屋街の一角に住んでいた。
スナックやパブがひしめきあっていた。
壊れかけの赤い看板に真新しい黄色の看板。
寂れてしまったけど、今もまだその界隈は残っている。


津軽と熊野は似ているのだろうか?ということを考える。
津軽の冬の日の、灰色に荒れ狂う日本海
中上健次の書く世界に通じるものがありそうだと思う。
後ろ暗い、神ならぬ神への信仰。そこにすがりつく生活。
血の中に混ざっていて、振り払おうにも振り払うことができない。
それは津軽にだって、ある。
冷たい切り裂くような風の中に染み込んでいる。
つまり、生活と裏腹の幻想がどれだけ潜んでいるか。
その、強さ。
それがどれだけ、取り返しのつかないことになっているか。


かつて、青森駅前にはリンゴ市場というものがあった。
掘立小屋じみた小さな「店」が無数に並んでいて、
角巻きを着たおばあちゃんたちが
リンゴ箱にちょこんと座って雨の日も風の日も、
吹雪のときには小さなストーブに当たって、店番をしている。
通り掛かりの観光客に津軽の言葉で話しかけて、
軒先に積み重ねられた「ふじ」や「つがる」を詰めた箱を指さす。
一日座って、どれだけの金になっただろう。
駅前の再開発で取り壊されて今はもう、ない。


近くにはキャバレーと称した風俗店やストリップの劇場もあった。
流れ流れて本州最北端まで辿り着いたのか、
それとも中学高校と青森で育って、気がついたらそこにいたのか。


帰りの新幹線で「熊野集」の続きを読みながら、
そんなことをツラツラと考えた。


熊野も、津軽も、現実の場所として存在している。
それを文学として描くことは全てが虚構に連なるのか?
どこにもつながらない、幻想の裏側に過ぎないのか。


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寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」


先週末の出張の帰り、
梅田の地下街を歩きながら新幹線の中で何を読もうと考えたとき、
そうだ、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」を読もう、
いや、読まなくては、と思った。
同郷どころか高校の先輩であるというのに、
これまできちんと読んだことがなかった。


読んですぐ、愕然とする。
こんな面白いものが世の中にあるというのに、
そしてそれはすぐ身近に転がっていたというのに、
なぜ僕は、見逃していたのだろう。
というか、敬遠していたのだろう。


高校の頃に出会っていたら、相当にのめり込んだだろうな。
かぶれて、心酔したと思う。
今だからこそ適当な距離感を持って接することができるわけで、
10代の僕は本能的に「今は危険だ」と察した、そうとしか思えない。


うらぶれた世界について書かれた言葉の一つ一つに津軽の匂いがする。
吹雪の止んだ、薄暗い灰色の夕暮れ。
街灯が鈍い光を放つ。その枯れかけた侘しさ。
僕が幼い頃に過ごした、郷愁に満ちた光景が堰を切ったように溢れ出す。
読んでると、僕の中で長いこと空いたままになっていて
どうすることもできずにいた溝が、
一瞬にして埋められたような感覚があった。


この感覚、太宰治に出会って以来だ。


青森県民という生き物は
太宰治寺山修司に無条件に心動かされるものなのだろうか?


(あるいは、無条件に心動かされると思いこんでいるのだろうか?)


中上健次」の熊野集を読んでいても、気持は津軽寺山修司へと向かう。
まだ行ったこともない熊野には
中上健次の息詰まるような緻密な文章がピタリとはまり、
青森にはやはり寺山修司の隙間の多い散文がよく似合うと直感する。

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「書を捨てよ、町へ出よう」はどこを切り取っても
見知らぬ人の耳元で囁きたくなるような言葉ばかり。
寺山修司のエッセンスがギュッと凝縮された一箇所を、紹介します。
津軽には、何の関係もないけれど。


「いまの男の子たちって、ピンポン・ジェネレーションね」
と古い酒場の女がいった。
「何だい、ピンポン・ジェネレーションって?」
と私がききかえした。
「ピンポンってさ」
と女が笑いながらいった。
「タマが小さいでしょう」