エイミー・ワインハウス死去

エイミー・ワインハウスが亡くなったというニュースを今朝、知る。
オーバードーズ。27歳。来るべきときが来たという感じがした。
それほど強い思い入れを持って聴いてきたわけではないけど、
なぜかぽっかり心の中に穴が開いた。


2006年の代表作『Back To Black』を繰り返し聴く。
彼女は以後、アルバムを作ることはできなかった。
アルコールとドラッグに溺れた生活を送って、リハビリ施設を出たり入ったりして。
ダメな男を愛したつもりになって、何もかもがスキャンダルにまみれて。
今年6月にセルビアで開催されたコンサートでは
泥酔してまともに歌えなくなった状態でステージに現れて、
その後予定されていたヨーロッパ・ツアーが全て無期限キャンセルとなった。


このレディー・ガガの時代に
アルコールとドラッグでボロボロになって破滅するいうのが、
ある意味ロックやソウルに身も心も捧げた人間として潔くもあるのだが。
今となっては最後の珍獣のような。


よく語られてきたことだけど、
ひとつの時代の終焉を象徴するかのように
1960年代末から1970年代初めにかけて、
ジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックス
ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズが27歳の若さで亡くなった。
摩擦に耐え切れず、転げ落ちて正面衝突。
生き急いで火花のように散っていく。
時代は下ってカート・コバーンもまた1994年に27歳で亡くなった。
この年に命を放棄することで伝説になる。
そしてここに今ひとり、加わった。
それと共に何かが、すぐ前の時代を象徴する何かが、終わってしまった。


やはりレディー・ガガのことを思う。2人は対極にあった。
アメリカのガガ、イギリスのワインハウス。
陽のガガ、陰のワインハウス。
レディー・ガガがマドンナの流れを汲む後継者だと言うときは
類稀なセルフ・プロデュース能力のことを指すんだけど、
それ以前にこの2人はセルフ・コントロールが徹底されている。
なんに対しても「溺れる」ということがない。
状況を的確に判断し冷静に次の一手を打つ理性を何よりも大切にする生き方。
単なるワーカホリックではなく。戦略とその実現こそが生きる目的。


ロックとは因果な音楽で、どっちがかっこいいかと言えば
僕なんかは断然エイミー・ワインハウスの方だ。
明日もなく、今日もなく。
わずかばかりの成功と引き換えに、自らの人生を投げ捨ててしまう。
自分にはそんなことできないから。
破滅的なミュージシャンに無言で「それ」を託す。
そして成就されるのを見守る。なんて残酷なことなのだろう。
多くの人間の「負」を引き受けて耐え切れなくなって死ぬ。
アルコールやドラッグに引き寄せられるのは
成功によるプレッシャーが理由ではない。
もっと別なところにあるのだと僕は思う。


エイミー・ワインハウス『Back To Black』
今日改めて聴き直して、いいアルバムだったな。
この続きを聴くことはできない。
それは、僕らのせいだ。