「buy a suit」

先日とある方と映画の話をしていたら
市川準監督の「buy a suit」が面白いと聞いて、昨日の夜観てみた。
遺作。2年前の9月に亡くなっている。
普通の劇映画ではない。
初心に帰りたくなって自らビデオカメラを回して撮った、自主制作の映画。
カメラワークも画質もその辺の学生映画と何も変わらない。
プロの俳優を使わず、出ているのは身の周りの人たち。
それで秋葉原とか浅草で普通に撮影している。


それを完成させたあとに急死というところがなんだかあれこれ考えさせる。
最後撮りたい映画を撮れてよかった、シアワセだとしてよいのかどうか、など。


全くのプライヴェート・フィルムで終わるはずだった作品が
東京国際映画祭で上映されることになって急遽音をプロにいじってもらったという。


大阪に住んでいる妹が
長いこと音信普通だった兄から手紙が届いたということで初めての上京。
当時の兄の友人と秋葉原で会ったのちに住所に書かれていた浅草へ。
着いてみると端のたもとで、兄はホームレスになっていた。
二人は夜、近くでスナックを開いているという別れた妻に会いに行く。
安っぽい飲み屋の外の席に座って三人でビールを飲んだ。そして…
ただそれだけ。47分の作品。
何があるわけでもない。


でも不思議なことに見てて飽きることはなく、十分に面白かった。
なんなんだろうな。
映画は技術でも俳優でもない、監督の世界観、この世界の切り取り方。
と言ってしまえばそれまでか。
しかし、安易にそう言い切ってしまっていいんだろうか。
死を前にして、と言うのもつまらない。
見知らぬ他人をオーディションで集めていたらこうはならない、
身の回りの身内だけで気軽に撮ったというところがカギになるのだろう。
確かにそういう柔らかい空気が流れている。
…だったら学生映画は皆名作ぞろいかというとそうはならない。
なんだかまた、振り出しに戻る。


なんにしても、生涯に1本しか撮れない類の作品なのだと思う。
こんなのばかり撮っていたら、それはそれでどんどんつまらなくなっていく。
『東京夜曲』や(未見だけど)『トニー滝谷』があってこその、『buy a suit』。


印象的なセリフがあった。
ホームレスの兄は別れた妻に対して「やりなおそう」と語りかける。
しかし彼女はそれを突っぱねる。そして、言う。
「もうわたしら、確かめ合うのやめようよ…
 生きとったらあかんとか、生なあかんとか、
 そんなん確かめんの、もうやめよ」