東北というもの

最近思うところがあって「東北」について本を読んでいる。
30代も後半。自分にとって東北という場所、東北という空間はいったい何なのかと。
これまでは青森について読んだり考えたりすることはあっても
それ以上の広がりはなかった。


中沢新一『哲学の東北』によれば
「東北」というのは単に本州北部の地方を指すのではなく、
ヨーロッパにもこの世界にも「東北」なるものはあるのだと。
それはもちろん気候・風土が似ているとかいう話ではなく、位置の問題でもなく。
パッサージュの場なのだというところになるほどな、と思う。
一言で言えばやはり「辺境」ということなのだろうか。「カオスの縁」としての。
しかし最果てではない。
熱帯的なノリはなく、冷たく、寒く、隙間風が吹いていてどこかさめている。


祝日の昨日、夕方ずっと河西英通『東北−つくられた異境』という本を読んでみた。
amazonの書評ではあまり好意的に書かれていないけど、
たぶんこの本は包括的にその歴史を描いているのだろうと。
著者は東北の生まれではないが、弘前大学を出ている。


東北の地はかつて「奥州」や「陸奥」として呼ばれていた。
「東北」という名前が文献に出てくるのは江戸時代も後半になってから。
明治時代になって今の6県が「東北」と呼ばれるようになる。
だからはっきりとした結束は元々無いんですね。
経済圏としてはむしろ、例えば秋田・山形・新潟といった
日本海側(=「裏日本系」)の結びつきの方が強かったのかもしれない。
太平洋側だと宮城・岩手というような。三陸地方を中心としたエリア。
横に広い福島県も太平洋側と内陸に分かれるのではないか。


それが十把ひとからげになったきっかけはどうも戊辰戦争となるようだ。
「未開」とは天皇を知らないことであり、天皇に歯向かうこととされた。
そして敗北。東北が「未開」=「蝦夷」に加わる構図、大義名分が出来上がる。
(当時、青森とは北海道の奥地だと思っていた人もいるようだ)
必ずしも会津側に立っていない秋田や宮城も同根とされた。
このまま後進地域扱いではいけないと
自由民権運動に代表される第二維新は西南ではなく東北から
という主張があちこちでなされるが、果たされずに終わった。なぜか?
柳田国男が後の1929年に次のように語ったのが、一言で言い表しているように思う。
「世間ではよく東北六県などというけれども、
 わたしの見たところでは、これを一括して考え得る東北人は一人もいない」
明治時代に概念化された「東北」は大正時代に現実の貧しき地域と成り果てる。
冷害が続き、産業の発展もままならない。
東北側の視点に立つと(というか著者の視点か)、だいたいこのようになる。


わずかばかり見えてきたけど、まだ全然全貌が見えず。
少なくとも僕が皮膚感覚で知っている東北とは全くリンクしていない。
例えば故郷というもの、例えば方言というもの。
松尾芭蕉から明治天皇イザベラ・バードまで東北を訪れた人びとが見聞きしたこと。
様々な視線、様々な距離感が交差するはずと感じつつ、
僕の中でつながってこないのが歯がゆい。


余談。読んでいて驚いたのは、下北半島に運河を掘って
陸奥湾を国際的な海上交通の要とする計画があったということ。
この運河、今の六ヶ所村を通ることになっていた。
これが実現していたらその後の青森の運命は大きく変わっていた。