『中央線 街と駅の120年』

今日床屋にて待っていたときに
『中央線 街と駅の120年』というムックをパラパラとめくった。
http://www.amazon.co.jp/dp/453307698X/
JTBから出ていて、その名の通り、
中央線沿線の各駅の昔懐かしい写真を集めている。


戦前の荻窪路面電車が走っていたことを知る。
西武鉄道が運営していて、新宿駅まで。
青梅街道沿いに線路が伸びていて、
後で調べてみら丸の内線の開業と共に廃止になったのだとか。
戦後はトレーラーバスが走っていた。東京駅までと月島八丁目まで。
ドル箱路線だったという。


荻窪というと北口にあったとされる闇市のゴチャッとした空間。
それも「鳥もと」が移っていったことで完全になくなったか。
僕が生まれる少し前、1970年に撮影した駅上空からの写真ではまだ
のどかに平べったい商店街が広がっていた。
今でもかすかにその面影は感じられる。


国立も見てみた。
大正15年には南口のあの放射状の道路ができていたんですね。
周り何もなくて道路だけが延びている。
建てられたばかりの富士見台第三団地もポツンとしている。
人工的に造られた街で、当時はほんとどこもかしこも農地だったのだ。
時代は下って、「国立スカラ座」映画館があったのか。


東京にもスカスカの時期があったのか。
そんなこと考えたこともなかったので
もう明治・大正の頃から家々がびっしり隙間なく建っていたんじゃないか、
ぐらいのイメージでいた。そんなわけないか。
やはり高度経済成長を待つんだろうな。


そういえばどこかで昔の神保町の航空写真を見たことがあったな。
色褪せた町並み。しかし、家々が密集していたような。
あれは何だったっけ。店の壁に貼られていたのか。本を読んだのか。

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話変わって、そういえば吉祥寺の公園側の「いせや」が閉店みたいですね。
建物老朽化に伴う取り壊し、建て直し。
昭和な匂いのする焼き鳥屋だったなあ。土日は行列になって入れなかった。


僕の周りでは隣の「ドナテロウズ」を惜しむ声の方が多かった。
看板娘だった2匹の猫の里親を探しているのだとか。