『モモ』

本格的に物語を書く必要に迫られて、何かを読もうと思ったときに
ミヒャエル・エンデの『モモ』が思い浮かんだ。
前の前の日曜。ちょうどその日は丸善松丸本舗に行くことになっていた。
カゴにコンパクト版を入れていたらブック・ショップ・エディターの方に見つかって、
『モモ』なら断然こっちと装丁の立派な方に入れ替えられた。
そのときは懐具合を心配したけど、それって今思うと
物語の中に登場する時間を奪われた大人たちのようだ。
読み終えた今、確かに、大きな本の方がいい。
その分だけ物語が大きく感じられる。


『モモ』のことは小学校の頃から知っていた。
教室の片隅に本棚があって、皆が家から本を持ち寄ることになっていた。
その中に例のオレンジ色の分厚い本がひっそりと挟み込まれていた。
気になったけど、怖くて読めなかった。
無数の時計が並んでいる窓のない薄暗くて広い部屋の中を
ブカブカの白衣を着たマッド・サイエンティスト風情の小柄な誰かが歩いている。
それは後姿であって、顔は分からない。そこには


「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間に
 とりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」


とある。僕はてっきりここに描かれているのは時間どろぼうなのだと思い込んでいた。
そしてこの情景はなんて不気味なのだろうと。夢にまで出て来た。
有名な本だと知るのは高校生だったか、大学生だったか。
当時の教室でも他の誰かが読んでいたのを、手に取ったのを見ることはなかった。


そうだ、エンデ自身の挿絵がたくさん差し込まれていたのに、
モモの顔を描いた絵は一枚もないんですね。後姿だけ。
それで言ったらペッポじいさんもジジも、人物は描かれていない。
その分、読む人の中でキャラクターが活き活きと形作られていく。


映画化ってあるのだろうか? と思って探してみたらあった。
1986年。原作者エンデの住むドイツと、舞台の元になったイタリアの合作。
エンデというと『ネバーエンディング・ストーリー』が有名だけど、
こちらは余り語られてないような。原作には勝てなかったか。


最後に。いろいろと心に沁みるフレーズがあったけど、最もグッと来たのはこれ。
「人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、
 かなえられてしまうことなんだよ」