百貨店というもの

次の週末に青森に帰るに当たって
線香を買ってきてほしいと言われて新宿の鳩居堂へ。
調べてみると京王デパート。
新丸の内ビルの方は閉店したようだ。


東京に住んで20年近くになるが、新宿の京王デパートに入るのは初めてだった。
婦人服のフロアがあって、紳士服のフロアがあって、
6階に鳩居堂などの高級な生活用品、眼鏡や時計、宝石。
7階が催事場。骨董市。
どれだけ明かりが白くても、ひと気がなくてどこか薄暗い。
間取りがもっさりしていて隙間が多い。
古きよき日本のデパートだった。
どちらかというと「百貨店」の言葉が似合う。


例えば高島屋
どの店舗もお洒落で洗練されたもので満たされていて、空間を使う感覚が他と違う。
それはそれでいいんだけど、野暮ったいデパートもまた好き。
地方に出かけると何はともあれまずはフラッと駅前のデパートに入ってしまう。
何を買うわけでもなく、ブラブラする。
和歌山駅近鉄百貨店、郡山駅のうすい百貨店。


青森市だと松木屋がセゾングループになって今はもうない。
カネ長武田はビブレとなり、さくら野へ。
中三はまだ新町にあったかな。
震災の後、盛岡でのガス爆発事故で民事再生手続きを申請したのを思い出す。


忘れられないのは小学六年生の修学旅行で訪れた函館の棒二森屋
あれこそ古きよき日本のデパートだった。
ごちゃっとしていて、元々の店が大きくなっていつのまにかデパートになったような。
まだあるみたいなんだけど、今はいったいどうなっているのか。


そう、カネ長武田が呉服屋から始まったように
屋号がそのままデパートの名前になった、そういう百貨店は面白い。


その意味では大手資本参加に入って
地域の百貨店が無味乾燥なデパートの支店になっていくのを見かけると、
どこかその街の匂いがねじ伏せられているのが垣間見えると、
寂しい気持ちになる。