青森帰省2日目


6時に1度目が覚めて、二度寝。8時に起こされて朝食。
家中に掃除機をかける。終わって『LAヴァイス』の続きを読む。
これから月曜まで浅虫温泉の小川旅館で過ごすことになっている。


11時になって家を出る。
鍵をかけたところで近くの人が野菜を持ってくる。
2・3日外に置いておくわけにもかないし
30分に1本のバスも来てしまうしと
今回はせっかくだけど持ち帰ってもらう。


駅へと向かうバスに乗る。
ああ、このラブホテルまだあったんだというのが懐かしい気持ちになる。
小さい頃からあって、今は改装されている。


終点の青森駅前で下りる。
A-FACTORYへ。噴水に入って子どもたちが遊んでいる。
2階へ。「あを盛ガレット」にする。
ホタテ、サバ、長芋、トマト、ゴボウ、
青森のおいしいものを「あ」から「を」まで。
シードルのドライと一緒に。
白蕪の冷製スープとティラミスがつく。
母はラザニア風のガレット。


1階の物産コーナーであれこれと買う。
・味噌カレー牛乳煎餅
・「かねさ」のみそチャップ(生姜風味)
蓬田村のトマトを使ったパスタソース
・ドライ林檎


青森駅前から浅虫温泉行きのバスに乗る。
1時間か2時間に1本。
合甫公園から東バイパスへ。
浅虫が近付いて左側に海が開けた。次のバス停は「津軽高野山
母は陸奥湾の向こうを指差し、あれは蓬田の大倉岳だという。


浅虫駅前で下りる。足湯はいっぱい。
狭い路地を歩いて、もう一つ奥の方のに向かう。
入ると予想以上に熱い。母曰く、こちらの方が若干熱いという。
「由来」と書かれた立て札が入口にあった。
浅虫温泉平安時代の終りごろ浄土宗の開祖円光大師が
 奥州巡教の折傷ついたかもしかが湯あみするのを見て
 発見されたと伝えられております。
 其の地名は嘗つて住民が織布の麻を蒸していたため
 麻蒸とよばれていました。
 しかし火難を怖れ火に縁のある文字を嫌い
 その後浅虫になつたと言われております。
 昭和六拾壱年拾壱月壱日」


14時前。宿は15時から。まだ時間があったので海の方に出る。
途中、道の駅「ゆ〜さ浅虫」を通る。
青森県はカシスの収穫量が日本一だということを知る。
ホタテの水揚げ量は一位ではなく、二位だった。


海辺へ。右に行けば海水浴場。
スピッツの「夢じゃない」がスピーカーから流れていた。
左は海釣り公園。有料だったので手前まで。
柵にもたれて風に吹かれる。カラッとした暑さで気持ちいい。
青森市の最高気温は29℃。東京は嵐だったのだとか。


目の前には湯の島。
4月、雪解けの頃の祭りには船で渡ることができて、片栗の花が満開になる。
見ると小型の漁船がこちらに向かって来ていて、
その上を白い海鳥たちが舞っていた。


浅虫駅の足湯に入って、小川旅館へ。
荷物を下ろして気付く。eMobileのカードを家に忘れてきてしまった…
今回なぜかそんなことばかり。


1日4組だけというこもあって温泉はほぼ貸切。
起きている間は1時間に1度ぐらいのペースで入りに行くが、
誰にも出会わない。


18時に食事。
先付けにサーモンと豆腐とオクラのマリネ風。
キュウリの酢の物にくらげ。漬物に菊芋。
煮たホタテ。ホヤとジュンサイ
いかそうめん。サーモンの照り焼き。
ホタテ貝に乗ったサーモンとホタテのグリル。
くらげの梅和え。名物のリンゴのグラタンは
リンゴを「ふじ」から「つがる」へ。
新鮮な刺身はホタテ、鯛、蛸。
蒸し物がトロロのかかった鯛と椎茸。
紙鍋に鯛のひれの部分と舞茸。
デザートにメロンとアイス。


食べ終えてその後は焼酎水割りを飲みながら
LAヴァイス』を読んで過ごす。
1日かかって半分か。残りは明日へ。


日中暑かったが、エアコンはつけず。
昼間は扇風機、夜は窓から入ってくる風で十分涼しい。
駅が近いから貨物列車の音が聞こえる。
夜になってそれは少し物悲しく聞こえる。


宿の娘さん。昨年は妹で、産休に入って今年は姉が替わりに。
よく似ていて最初気が付かなかった。


午前0時過ぎに眠る。
試合を見逃したが、光星学院がベスト8進出。