9:00出航。フェリーが岸を離れ、少しずつ少しずつ稚内の町から遠ざかっていく。
30分ぐらいではまだ普通に遠くに見えて、
1時間を過ぎてようやく水平線の彼方となった。
10:30頃、国境を越えましたとアナウンスが入る。
国境通過証明書を売店で配っていますというので僕ももらいに行った。
その頃には反対側、サハリンの半島の端がかすかに見えるようになっていた。
その後しばらくしてからは向かって左側に陸地が続いた。
船内では幕の内弁当を一人にひとつ配っていて、
これがまた何の変哲もなさ過ぎる弁当。
焼き鮭、卵焼き、エビフライ、昆布巻き、シュウマイ、メンチカツ、
ケチャップを和えたスパゲティ、きんぴらごぼう、柴漬け、ごはんに梅干。
昨晩簡単にしか食べてなくて朝も抜いた僕には物足りず、
1時間後には売店でカップヌードルを買ってしまった。
お湯の入ったポットが用意されている。
海を眺めながら食べるカップヌードルはうまかった。
到着1時間前さらに「北のどん兵衛」まで食べてしまった。
北海道限定、利尻昆布を使用とのこと。
船内のロシア語のいくつかは分かった。
出口が「Выход」など。
日本人乗務員の話す簡単なロシア語も聞き取れた。
「パジャールスタ、シチャス、アー…」
(すみません、今、えーと…)
乗ってる間は細野晴臣『分福茶釜』という
平凡社ライブラリーから出ている談話集を読んだ。
語り言葉だから読みやすい。その割りに含蓄が深い。
200ページと薄くて一気に読みきってしまう。
サッポロ黒ラベルが船内は100円で、3本続けて飲みながら。
(さらに2本、鞄に忍ばせてホテルで飲もうと思う)
パラダイス。ミネラルウォーターが150円でそちらの方が高い。
引き続き、多和田葉子「飛魂」を読み始めた。
空は曇っていたのが途中から雲の切れ間が広がって、
それがいつのまにか霧の中へ。青空と曇り空を何度も繰り返す。
なんだか異様に雲が近く見えるのはこの日たまたまか。
合わせて海の色も灰色から鮮やかな青へ、それが最後には鉛色となる。
灰色の海が広がっているとき、水平線の境界はなぜか青だった。
それが一直線に続いていた。何らかの自然現象なのか。
どこから現れたのかカモメが一羽船についてくる。
僕のいた後方デッキ席はロシア人の夫婦や親子ばかり。
日本人はたまに現れては消えていく。
最初のうちは記念撮影をしていたり風景写真を撮っていたけど、
岸辺から遠ざかってからは
船室で寝ているか缶ビールを飲んで談笑している人たちが多かった。
僕と違ってフェリーはメインイベントではなく、あくまで移動手段なんですね。
14:30到着、14:00を過ぎてコルサコフ港が見えてくる。
船を修理するドックなのかクレーンが並ぶ。
丘の上に赤や茶色の屋根、黄色の壁など色とりどりの地味な公営住宅。
四角形のコンクリートブロックが海中から積み上げられ、
そのうちのひとつに日本語で「コルサコフ案内サービス」と書かれていた。
年配の方が遺影を取り出して語りかけていた。
船が停止して旋回する。後方デッキでは出発のときと反対に
作業員の方たちが岸辺にロープを括りつけて引っ張り、固定する。
糸巻きを巻いていた制御棒のようなものを最後ハンマーで叩いて固く締める。
岸の方ではロシア人がロープを受け取ったりしていた。
その他、港の職員であるロシア人たちが手持ち無沙汰に立っていた。
エンジンが止まって鉄板がスルスルと伸びて
岸辺に渡されてトラックが途中まで進む。
税関の係員と思われるキリッとした制服を着たロシア人の男性が
後ろを空けてチラッと覗く。日本から預けた荷物だった。
乗務員や作業員の方たちはコルサコフに一泊して
翌日の稚内行きで帰るのだろう。
船は古びた桟橋に停泊して、バスで入国審査の事務所まで移動する。
それが一度に乗せきれず3回に分けることになる。
最初は近畿日本ツーリストの人たち。僕は2回目に乗る。
全員集めて注意事項説明のときに一人離れてフラフラしていた方が
案の定乗り遅れて2回目となる。
(かといって同じツアーでもないし、僕がその人に注意することでもないし)