サハリン旅行:8/21

何度か目が覚める。外は薄暗い。また眠る。
目覚ましは午前9時半(日本時間7時半)としていたけど、
その1時間前に起きることにする。
2階のレストランで朝食。バイキング。
白身魚のフライ、肉団子のホワイトソースがけ、
チキンソテーにタマネギとトマト、赤・黄ピーマン添え。
日本人の宿泊客が多いからかライスがある。
ホワイトソースのようなものがあったのでライスにかけたら
甘めのオートミールみたいなものだった。
肉は硬い。まあそんなもんか。
オレンジジュースを飲む。
部屋で飲もうと紅茶のTバッグをたくさんくすねていく。
「Summer Strawberry」「Apple Rhapsody with Mint」など
フルーツフレーヴァーの紅茶だった。


部屋に戻ってここ2日分の洗濯をする。
洗面台にお湯をためて旅行用使いきりの液体トップを使う。
洗うよりもすすぐ方が大変なものである。
部屋の中に干す場所がないので浴槽のカーテンレールにTシャツを、
浴槽にトランクスを広げて乾かす。
今日は11時(日本時間9時)より市内ウォーキング。
それまで小説Uの手直し。下からもってきた紅茶を飲む。
NHK BSのチャンネルを見つけてつけっぱなしにする。
世界のニュースか。H&Mの工場が中国からエチオピアへ。
ブラジルのワールドカップ、チケット販売開始。
「スノーデン報道」のイギリス人記者同居人が空港で拘束。


11時になって1階へ下りていく。ガイドのイリーナさんとお会いする。
昨晩預けたパスポートをフロントで受け取る。
今日のドライバーの方は感じのいい若者で
もしかしたら東南アジア系かもしれなかった。
ホテルの裏のガガーリン文化公園へ。
水曜の午前中ということもあって人通りは少ないが、
土日ともなると他に大きな娯楽施設はなく大混雑になるのだという。
昨日も見かけた様々なちょっと古びたアトラクションたち。
回転するカンガルーや巨大風船の犬が
静止してビニールシートをかけられ寂しそうに佇んでいる。
観覧車が無人のままゆっくりと回っている。
屋外ディスコもまだ閉まっている。
この時間に歩いているのは学生たちか。


アスファルトが崩れて凸凹になった道を「子供鉄道」の方に歩いていく。
専門の学校で11歳から鉄道の運転を習い、
夏の間アルバイトで子供たちが実際に運転するのだという。
日本の遊園地にあるようなおもちゃではなく
ミニチュアサイズながら本物の機関車。
線路の修理を大人たちが4・5人がかりで行っていた。
削岩機のようなものを線路の下の砂利に当てて砂利を掘り返していた。
四角い池に出る。かつて王子製紙がつくった人工の池。
池の周りは泥だらけで歩きにくい。
聞くと先週金土と大雨でハバロフスクでは洪水まで起きている。
僕は函館の脱線事故のことを話した。


小さな橋が架かっていて、恋人たちの聖地。
あちこちでふたつの錠前が交差している。
渡った先には同じように輪のオブジェクトがあって
色とりどりの短冊が結び付けられている。
池の由来に関する古い石碑もあった。


帰りは別の、工事中の道を歩く。
ユジノサハリンスクではあちこちで道路工事が行われていた。
地中から剥き出しの土管が覗いていたりする。
一年中どこかで道路工事しているのはどの国も一緒か。
遠くにいくつか建設中の高層ビルを見かける。
(と言っても日本のそれではなくロシア的素朴なビル)
てっぺんにクレーンが乗っかっている。
石油や天然ガスで好景気のまま、今も続いているのだろう。
上海ほどではないにせよ、生まれ変わっている街の雰囲気を感じる。
ロシアなので街は埃っぽく、ガラーンと密度が低い。
そこを埋めようとしているというか。


この道は両側を木々で囲まれていて、多くは白樺。
桜の木も植えられている。日本料理の店「ふる里」の経営者が
日本から持ってきて植えたのだという。
スタジアムの横を通りがかる。
8月15日には韓国から来たスターたちがここで歌うのだとイリーナさんは言う。


歩くうちにやがてガガーリンの像に出る。
コムソモーリスカヤ通りを歩いて郷土史博物館へ。
その前にロシア正教会の教会を見かけて中に入る。
まだ若い母親が入口でスカーフをかぶる。
小さな娘を連れていて、中でロウソクに火を灯しイコンの前の蜀台に立てる。
亡くなった方の供養なのだという。娘の父親か。
真っ白い壁のいたるところに壮麗なイコンが掛けられている。
教会の地下は小さな店となっていて、片側はロシア正教関係の書物が、
片側はイコンの複製や指輪や数珠?など
信仰と共にある生活を送るに当たって必要なものが、山ほど売られていた。