サハリン旅行:8/21続き

かつて「神社通り」と呼ばれていた通りを渡って
すぐのところに郷土史博物館があった。
樺太庁博物館の建物をそのまま転用している。日本風の建物。
なぜか沖縄のお城を思い出した。屋根の感じがどこか似ている。
入ると噴水が輝き、その周りに緑が植えられている。
入場料は今回のオプショナルツアーに含まれるようだ。
それとは別に、中で写真を撮る場合にはと
追加で100ルーブルをその場で支払うことになった。


入って右側が石器時代からロシア化されるまで。
鏃や土器の欠片、ヒスイの首飾りに始まって、
小舟と櫂、ペチカ、埋葬されていた骸骨。
樺太の南側に住んで北海道に渡ったアイヌと北側に住んだニブヒ。
このふたつの先住民族に関する展示がメインとなる。
衣服や鎧、剣と縦、犬小屋のような墓が寄せ集まって、
その中に一緒に埋められたものたち。
身近な動物を木で作ったもの、夫婦を模した素朴な人形。
アイヌの歴史についての掲示があった。
第二次大戦後1946年には1159人住んでいたアイヌ人たちは皆、
北海道へと移住させられた、と書かれていた。


その隣の部屋が、北海道大学の先生が発掘したサハリンで見つかった
恐竜の骨格標本(900kgあったのだとか)と
1995年のネフタゴルスクの大地震の記録。
人口3176人の村のうち、2040人が亡くなったのだという。
20年も経っていない現代の話なのに全然知らなかった。


玄関から見て左側がサハリンの動物たちの標本。
巨大な海老などの海辺の生物に始まって
燃え盛る炎のような枝振りの茶色い鹿、決闘する熊たち、
蛙や蛇のホルマリン漬け、背中にも乗れそうな海がめ、
真っ白なウサギと雪の中を飛ぶ鳥たちなど。


上の階は向かって右側が「1905-1945」という題名で日本の植民地時代。
当時の記録映像が残っていて思わず見入ってしまった。
意外なことにカラーなんですね。
ここは浅草かってぐらいの通りの賑わいに
日本の旗があちこちではためき、派手な看板が並び、
劇場ではたくさんの女性たちがステージに立って
豪華絢爛なショーを繰り広げている。
これらが今、ほぼ全て失われてしまったのか。
ユジノサハリンスクを歩いていてもはや
日本の植民地を思い起こさせるものは少ない。
ここはあくまでロシアであって、アジア化が進んでいる。
しかしそれは韓国でありもっと南であって、日本ではない。同化しようとしない。


映像はやがてナチスと日本軍。行進する兵士たちに手を振っている。
馬も進む。あれはもしかして昭和天皇ではないか…
部屋の中の他の展示は当時の日本人たちが残したもの。
柱時計、軍服、銃剣、剣道の胴着、ヤマハオルガン。
収容所か刑務所か、模型が展示されていて木造の狭い小屋に二段ベッド。
粗末な毛布。柱に掛けられた手ぬぐい。テーブルの上のやかん。
大きな鉄製のストーブがあってその近くに薪が積み上げられている。


その隣がロシアの政治犯に関する展示。
ここにも模型があって、台の上に半裸の男がうつ伏せになって横たわり、
その周りを4人の警官が取り囲んでいる。
さらにその隣がサハリン島探検の歴史。
間宮林蔵肖像画と探索によって書かれた地図。
当時の青森・北海道を描いた地図があってなぜか青森の方が大きい。
向かって左側の部屋が「1945-2000」と題されてソ連時代から現代までか。
プーチン大統領が今は亡きサハリン州の知事を訪問などの写真や
1950年代−60年代の部屋を再現であるとか(サモワールなど)、
最近の油田開発や第二次大戦、サハリンの製紙業のロシアにおける広がり、
日本の「オットセイ会社」などアトランダムに並んでいた。
(大勢の日本人がお祭りで張りぼてのオットセイと共に通りを練り歩く)
博物館を出て裏庭へ。アイヌ人が夏を過ごす小屋の復元があった。
第二次大戦時にペテルブルクで作られた大砲もあった。
ロシア人の子どもが喜んでいる。