(5/4(日)の続き)
神社を出て門前町を歩く。駐車場が満車になっていて人通りも多い。
店の前などあちこちに湧水が。
竹筒から苔むした甕に流れていたり、水車が回っていたり。
この辺り一帯にこうした「水基」が10数個あってそれを巡るのが最近の流行のようだ。
それぞれに名前がつけられていて、「語いの雫」「文豪の水」「菓恋水」など。
ひとつひとつ、近くの壁に水質を評価した表が貼りつけられている。
ひしゃくで掬って飲んでみると冷たくておいしかった。
熊本は地下水が豊富すぎて地盤がゆるく、地下鉄がつくれないと聞いた。
その分、路面電車が今も元気なのだろう。
「とり宮」で名物の馬肉コロッケ「馬ロッケ」を買って食べる。
店の内外で観光客ができたてを頬張っているのがおいしそうだった。
オーダーすると10分待ち。
外では軒先にとうもろこしをぶら下げ、
入り口入ってすぐの土間には皮のケースに入った鉄の大きな鋏などの道具類が柱に掛けられ、
梁からは猪の蹄を束ねたものが吊り下げられていた。
店内の棚にはミシンやラジオといった昭和初期?の電化製品が並べられていた。
出来上がったコロッケはアツアツホクホクでジャガイモがとろけるよう。これはうまい!
通りを端まで行って少し右へ左へ行くと家々の間を流れる小川に出て、
そこに沿って歩いていくうちに「旧女学校跡」へ。
色褪せた水色っぽい板を組み合わせた校舎の中に入ると廊下があって教室が二つ。
オーガニック系の雑貨や衣類が売られていた。古道具の類も値札がついていた。
震災復興支援の宮城県のキッチン用品なんかもあって、熊本へのこだわりはないようだ。
聞くとレジの女性は東京から移り住んできたのだという。
外に出て古民家に入るとぜんざいや流しそうめんの店。
奥が仏像や壷に始まってとにかく雑多に何でも集めた古道具。
くまモンが描かれたサイダーが水の流れる甕の中で冷やされていて、
気持ちよさそうだと買って飲んでみる。210円。
プレーンを選ぶ。他にシソ味とチョコ味があった。
店の前の甕に子供たちが群がって冷たい水に喜んでいる。
店先で片付け物をしていた初老の男性がここの水は上からの湧き水で、と語った。
感じのいい方だったんだけど、後で聞いたところでは
もうひとつのおしゃれなカフェを含めてこの一帯で店を構えている人たちは
皆外から来ていて、元々熊本出身の方は一人もいないのだという。
ある種のコミューンのようなものか。
なので地域のイベントにも関わりが薄い。どこか浮世離れしている。
そもそもここがどういう女学校だったのか説明が一切ない。
ローケーションを利用するだけでその歴史から断絶している。
果たしてそれでいいのだろうか、と思う。
買い取って始めたのだから今の持ち主にしてみれば関係のないことか。
素材やパーツに過ぎない。
るるぶを参照する。
ここはかつて明治35年、神山エツの始めた私立「宮地裁縫女学校」だった。
昭和52年まで続いて、その後は平成12年まで裁縫工場として利用されたとのこと。
門前町に戻って「はなびし」という店に入る。
人気の店で30分待ち。行列が途切れない。
「あか牛 牛カツ重」を食べる。1,890円。
けっこうしたけど観光地の食事としては見合うだけのものがあった。
赤牛のレアをそのままカツにして、わさび醤油に漬けて食べる。
だご汁(すいとんのようなものが入った熊本の郷土料理)もついてきた。
同行の方が食べた「あか牛 トマト煮丼」もおいしかった。
車に乗って南阿蘇の方から中岳の火口を目指す。
国道57号線が阿蘇を回るには一般的な道路なんだけど
県外からの観光客で渋滞になっている。
熊本在住の方に運転してもらっているので裏道を走って山道をグングン飛ばしていく。
それでも57号線と交差する辺りに差し掛かると渋滞に巻き込まれる。
過ぎるとまた空いてくる。それを何度か繰り返した。
前からの知り合いだという
阿蘇山火口麓のお寺さんの和尚さんに電話でルート案内してもらって
南側に回って「吉田線」(阿蘇パノラマライン)を上っていく。
こちらの方が比較的空いている。
トンネルをくぐった先の右側に電柱があってそこから入る脇道が近道だと聞いて
石造りの古びた背の低い門柱をくぐって砂利道へ。
路肩が崩れているところがあるから気をつけてとのことだったが、
少し進んではカーブして右も左も崩れまくっている。
かろうじてところどころガードレールがあるだけ。落石もゴロゴロと。
上を見上げても下を見下ろしても急斜面。かつ人間の生活の痕跡は皆無。
これが本当に和尚さんの勧めるルートか? どんな修行なんだ…
道が狭すぎて対向車が来るとすれ違えないというのも怖い。
(熊本の言葉で「離合」という)
車体の腹を草や枝やあれこれがこすっていく。何かがゴンと当たる。
パイプがひとつやふたつもぎ取られているんじゃないかと不安になる。
土で盛り上がっているところを無理やり乗り越えて車体が傾いたり、
もうひとつ乗り越えようとして泥でスリップしたり。
ここは本当に4WDでもない普通の車が行くところなんだろうか…
和尚さんに電話しても通じない。留守電になる。
どうにかこうにかUターンできる隙間を見つけて引き返す。
ふと見ると「煙草や焚き火に注意」という立て札。
いや、そもそも「進入禁止」が立っているべきだろう。
(数年前、バイカーのおっさんがカップヌードルを食べようと火をおこしたら
一帯を焼く大火事となったという出来事があって、今もピリピリしている)
対向車もなくどうにかこうにか戻ってきて門柱を出る。
あの道はそのまま進んでいたらどこに通じたのか。工事用の道路だったのか。
吉田線に戻って、山道を上っていくと道路を横切るように電信柱が連なっていて、
それと並行するように小さな道路があった。もしかしてここのこと?
少し先に進むと正規のルートが渋滞で進めなくなっているのが見えた。
引き返してこの道へ。混雑を尻目に阿蘇山ロープウェーの駅までササッと行けた。
火口までのロープウェーは現在整備中で7月まで運休中。
先日活動が活発な時期があって、
硫黄の煙がすごくてネジなどの部品がいかれてしまったのだと。
どれも特注品で時間が掛かる。ゴールデンウィーク、せっかくの稼ぎ時なのに。
麓のお寺へ。まだ若い和尚さんがほら貝を吹いて出迎えてくれる。
小さなお堂があるだけで本堂は10年前に放火で焼けてしまったという。
せっかくここまで来てくれたからと祈祷してくれる。
ほら貝を吹いて太鼓を叩き、お経を唱える。
このほら貝、山伏たちの宿坊が始まりだったからか。
その後話を聞く。由来を辿っていったところ縁結びの神様と分かり、
「恋人たちの聖地」に認定されたが、
硫黄ですぐボロボロになるからプレートがかけられない。
なので今陶器のプレートをつくってもらっている、などなど。
そういった寺興し(?)の一環として健康や恋愛、学業・商売など
五色の願掛けの布に願い事を書いて結わえるということを始めた。
これは単に吊り下げているのではなく
奥の院に安置されている仏像の手までつなげられている。