ポスト・クラシカルという音楽、続き

昨日の続き。その後考えた。
一番大事なことが抜けていた。


彼ら・彼女たちの多くが自ら作曲した曲を演奏しているということ。
クラシックというジャンルでは
演奏者と作曲者が明確に分かれているというイメージがある。
音楽学校でも学科が別になり、専門教育として全然異なったものとなる。
もちろん今に至るまで作曲者はピアノなどの楽器に精通してはいるが。


ふと、気付く。
若者が曲を書いて演奏するというとき、
エレキギターを持ってバンドで演奏するというだけではなく、
PCで曲を完成させたりターンテーブルを並べたりと様々なスタイルがありえる。
だったら、ピアノ、ヴァイオリン、チェロといった楽器を手に
室内楽的な表現と向かってもおかしくはない。
アコースティックな音の美しさで言えば
ピアノやクラシックギターには叶わないだろう。


21世紀の今、フラットに様々な選択肢から
リズムやメロディのパターンやそれを具現化する楽器を選んでいった結果、
ピアノとラップトップPCとDJの共演といったことになるのだろう。
恐らくクラシックという音楽の中から、
クラシックというジャンルを進化させたくて活動するわけではない。


何よりもそれはそのアーティストにしかなしえない
独自の表現なのだということ。
既存の音楽の再生産ではなく、
うつろいゆくものの瞬間を捉えたものなのだということ。
そこでは完璧な技術よりも開かれた感性が重視される。
美しさそのものを表わすのではなく、
美しさに対して開かれた音楽であること。