長野、そして今

一度オリンピックを生で見てみたい。
2020年、東京オリンピックはどうなんだろう?
都民優先でチケットが取れたりするんだろうか。


今思うと、長野オリンピックを見に行くべきだった。
1998年の2月というと大学院一年目の終わりで、就職活動をしていた。
そんな余裕はなかったか。
でも、その後のことを思うと何を差し置いても行くべきだった。
世界のトップになるというのはどういうことなのか、
知ってると知ってないとでは違う。


文系の大学院で文学系というなんともつぶしのきかないところにいて、
マスコミに行きたいとぼんやり思いつつも、なんの準備もなく撃沈。
IT業界がいくらでも募集している時期だったので引っかかってそこへ。
それが人生を左右する。こんなに長くいるとは思わなかった。
仕事がずっと途切れないから、転職を考えるとしてもIT業界の中で、だった。


片やオリンピックでメダルを取れるか取れないかギリギリのところで自分を高めていて、
片や替えがいくらでもいる仕事で、くだらないことで身をすり減らしている。
40を過ぎて第一線で活躍しているスポーツ選手はレジェンドと呼ばれる。
冬のオリンピックでは99.9%、自分よりも若い選手となった。
ほっとくと目線は下がる。視野は狭くなる。
僕が今オリンピックを見ているというのは
そこに対する申し訳ない気持ちゆえに、かもしれない。


長野オリンピックを見に行かなかった僕は、その頃将来に対する展望がなかった。
それは今も変わらないかもしれない。
かもしれない、ではない。今も変わらない、だ。
缶チューハイを飲みながら、グダグダ見ている場合ではない。


高梨沙羅は1回目を飛んで、3位。