募金というもの

駅の出入り口のところに近くの大学のボランティアサークルの若者たちが
揃いの色鮮やかなハッピを着て並んで立っていて、募金を呼びかけている。
一人が「ふくしまのしえんのためによろしくおねがいします!」と大声で呼びかけると
残りのメンバーが「よろしくおねがいします!」と。
それを交代して繰り返していく。
とても元気で、明るく、健康的だ。


しかしそれはそれで何か違和感があって、僕だったら募金したくないなと。
もっと正確に言うと、募金しにくいなと。
正直避けて通って、彼らのことは視界に入らないようにしている。


なんなのだろう? 
サークルノリやスポーツ感覚が伺えるからか。
募金ってもっと暗くてじめっとしているべきというイメージがあるからか。
そもそも大声がうるさいからか。
募金ハイのような状態が僕に経験ないからか。
学生時代特有の仲間意識をやっかんでいるのか。
そもそも彼らがキラキラしているからか。


彼らに全くの悪気はなく、善意から来ているというのはよくわかるんだけど・・・
僕の心が汚れているのだろうか。
なんとなくこういうことなんじゃないか、ということのひとつが、
彼らは就職活動のときに「学生時代がんばってたこと」を聞かれて
「ボランティアをがんばってました」「リーダーとしてやってました」
と答えるんじゃないかというところ。
もちろんそれもいけないことではない。


なんだろうなあ。
若者たちのゴスペルグループが
路上で歌っているのを見たときの気恥ずかしさに近いのか。
うまい下手よりもまずは元気を前面に出したときの。
歌いたい、という青くさい衝動感。


結局のところ、募金してくれている人の姿をほとんど見たことないんですよね。
それでいいのかな。