AIというもの

この前のボーナスで洗濯機を買い替えた。
最新のものなので、終わったときに
女性の声で「お洗濯が終了しました」などとメッセージが流れる。
気が付くと身の回りの多くの家電がそんな感じ。
給湯器が「お風呂が沸きました」と言ってくれるし、
カーナビも「300m先右折です」などと。
90年代に出てきたような、
いかにも機械がテープを切り貼りして再生しているものではなく、
小型化したコンピューターというかチップが入って音声が滑らかだ。


こういうのに慣れていくうちに
いつのまにか AI 化が進んで、本当に「話す」ようになるのだろう。
こういう状況だからこういうメッセージを発するという条件付けがより複雑になって、
リアルな人間の応答に近づいていく。


それは人間が考えるような思考ではないかもしれない。
でも、僕らの日常生活における思考の大半は単純な、そういういうものだと思う。
経験の積み重ねに寄る条件付けで判断できるもの。


カーナビは今、一般道か有料道路かを最初に選んで、
混雑状況を元にルートを計算する。
光が丘から二子玉川まで運転する。笹目通りから環八へ。
ほぼ一直線なのでそれ以外のルートが出ない。
「夕方は環八が動かないから絶対避けたい」と思って 246 に入ってみる。
ああ、この道は遠回りだけど混雑しないと環七に入っていくルートを見つける。
そういう試行錯誤をカーナビの方もできるといい。
もうあるのかな。GPSと連動して運転手の選んだルートを記憶して、蓄積して、
それをもとにナビをする。
カーナビに求める AI はその程度であって、
一般的な人工知能ではなく単なる条件付けプログラミングの集積でしかないが、
それで十分人間の相手はできると思う。


いかに経験をデータとして蓄積して、ルール化するか。
それを途方もない量でできるようになってきた今、世の中は今AI案件ばかり。
でもこういう疑似AIではなく、本当の意味での AI の研究も進んでいて、
それはこの積み上げ型とは全く逆のアプローチなのだという。
もっと効率的に思考のパターンを導き出していく。


シンギュラリティの問題。いわゆる2045年に AI が人間を追い越していくと。
生命のような複雑さを持った真の AI が赤ん坊として生まれて、
それまでに開発された疑似 AI を飲み込んでいく。
それは2045年よりももっと早いのではないか。