青森市SUPERMAN

なんとなく思い出したこと。
僕らが中学生になった頃、1980年代後半、
レンタルビデオ屋が市内あちこちにできて、レンタルCDの取り扱いも増えた。
その中のひとつに「SUPERMAN」という店が古川の繁華街にあった。
看板には青地に赤のマントのスーパーマンが描かれ、
顔は日本人のオッサンだった。鳥山明風の。
店の規模に反して品ぞろえは(僕個人としては)たいしたことなく、
どこでも借りることのできるような新作の売れ線ばかりだった。
1回か2回しか利用したことはないと思う。
それでも羽振りがよくて、市内の他の場所にも支店を出していたんじゃないかな。
高校の頃には駅前にカラオケボックスも出店していた。
そう、レンタルビデオから少し遅れてカラオケが流行になった。


90年代前半に大学生になって、90年代末に社会人になる。
その後どこかでレンタルビデオの SUPERMAN も
カラオケボックスの SUPERMAN もいつのまにかなくなっていた。
古川、新町に活気がなくなったからというのもあるし、
TSUTAYA の台頭により街のレンタルビデオが下火になったというのもあるだろう。


今思うと、当時20代か30代の市内出身の商売人がこれは当たると作ったのではないか。
青年実業家だ。本町のスナック街でボトルを何本も開けるような
景気のいい時期も何年かはあったんじゃないかな。
今はどうしているのだろう。不動産とか飲食店の経営だろうか。
それが街で大人になるということか。


青森市の歴史をまとめるという機会があったら、
こういう人にこそ話を聞いてみたいと思った。
裏の歴史とでもいうか。
今も昔も成功している有名人に聞くと、個人の成功体験ばかりになりそうで。


SUPERMAN が閉店した時の大量のレンタルビデオやCDはどうしたのだろう。
バイトが好きなだけ持ち帰ったのか。
中古屋に二束三文で流したか。