普通の人々

「普通の人」ってなんだろうな、ということをふと思う。
平均的な人ということだろうか。なんか違う。
当たり障りのない人ということだろうか。
この間にあるちょう真ん中の人、なのかもしれない。


それはもちろん相対的なものであって
僕もある集団では相当な変人と思われ、
ある集団ではいたってまともな人と思われる。


ロバート・レッドフォード監督が
アカデミー賞の作品賞・監督賞を獲得した
『普通の人々』という映画がある。
アメリカの平凡な一家に起こったとある出来事がきっかけとなって
進んでいくストーリーなんだけど、
2時間のドラマとして描かれるという時点で普通じゃない。


静岡県マーケティングの分野では
日本を代表する平均的な県ということになっている。
このとき静岡県は普通なのか、どこか変なのか。


普通とは自分を基準に考えるものではない。
自分はどこまで行っても自分でしかない。
周りとの関係性の中で、何が普通なのかを都度決めていくものである。


このとき、普通とは性質よりも行為のように思われる。
何をして何をしないか。
その取捨選択に「普通」が現れるのではないか。
もっと言うとそれは背景となる状況によって決まる。
(何を地としたときに何を図とするかで決まる)


普通の人でありたかったらそういう状況に身を置けばいいし、
普通の人が嫌だったらそういう状況に身を置けばいい。
自分一人ではどうにもならない。


この世界にたった一人きりとなったとき、
あなたはもはや普通の人ではない。