先日、中村屋のことを書いていたら思い出した。
まだ小学生のことだ。高学年だっただろうか。
父の三回忌かなんかで母と妹と三人、青森から上京した。
父の命日は三月二十七日、春休みの時期だった。
法事があって、父方の親戚に会ったりという日々が続いた。
僕と妹はもちろん子供だった。
そこでどんな大人の会話があったのかは、わからない。
母の友人に会う、というようなこともあった。
本を買ってもらったことを覚えている。
そんな中である日、新宿の中村屋に夜、食事に出かけた。
母は二十代になって上京して、中村屋の近くのお茶道具の店で働き始めた。
恐らく給料日ともなると月に一度の贅沢ということで食べに行ったのだろう。
昭和四十年代の話である。
母と妹と三人。それぞれカレーを注文する。
インドカリーではなく、コールマンカリーを食べた。
今でもはっきりと覚えている。
トマトとヨーグルトを使用しているとか、
ロシアから来た詩人から教わったとか、そういったことがメニューに書かれていた。
青森の片田舎の母子家庭から来た少年にはとてつもないご馳走に思えた。
皿が運ばれてくる。僕はぺろっと食べ終わって、「おいしいなあ」と素直に思った。
食後に母はコーヒーを注文した。
何を思ったのか、小瓶に入った粉チーズをスプーンですくって
コーヒーカップの中に入れようとした。
それを見た僕は慌てて「お母さん、違うよ。それチーズだよ」と言った。
さも分別ありそうに。スプーンの上の黄色い粉末はどこをどう見ても砂糖じゃない。
それに対して母は「入れてみないとわからない」と言ってきかない。
僕が見守ってる中、粉チーズをはらっとコーヒーの中に入れた。
そして一口飲んでみた。
「そうね、トヨヒコの言う通り、砂糖じゃなかった」
母はウエイトレスを呼び止めて、
「間違えて粉チーズを入れちゃって」と謝って、
コーヒーを替えてもらった。寂しく笑いながら。
僕はそれを見て「恥ずかしいなあ」と思った。
小さくなって消えてしまいたくなった。
東京の一等地でなんて恥ずかしいことをしているのだろうと。
ウエイトレスも心の中では「田舎者だなあ」と笑ってるのではないかと。
コーヒーが運ばれてくる。母は今度は間違えることなく、
シュガーポットに入っていた真っ白な砂糖を、銀色の小さなスプーンですくって入れた。
ゆっくりとかき混ぜた。母は何も言わずにコーヒーを飲んだ。
飲み終えて、僕らは店を出た。
次の日には、寝台列車に乗って青森に帰った。
この出来事を思い出すことがこれまでの人生で何度もあった。
最初のうちは恥ずかしさと共に。
その後は、単なる人生のエピソードとして。
「母と僕」みたいなカテゴリーにうまく括られて。
この歳になってこんなことを思うようになった:
あれは母なりのささやかな、この世界/社会に対する抵抗だったのだと。
姑と折り合いが合わず、葬儀の際には「あなたと結婚したから息子が死んだ」とまで言われる。
一人きりで二人の子供を育てなくてはならなくなって、日々の暮らしもカツカツ、
それが何年も続いて、これから先何年も続く。
そんな状況での三回忌、上京。
姑にあれこれ言われても平然としてなくてはならなく、
連れて回る子供たちは見るもの全てに「あれがほしい」と言ってばかり。
昔を思い出し、ちょっとした贅沢がしたくなって入った店でウエイトレスに、
ありえないような要求を、だけどものすごく些細な、要求をする。
お金を払う客として、何かわがままを言ってみたくなった。無意識のうちに。
そういうことだったのではないか?
母にこのことを聞いても覚えてないと言うと思う。まず間違いなく。
こと細かく説明して見せても
「あい変らず頭が悪いねえ、お母さんは」と言って終わるのだろう。
母の人生にとって重要な事件でもなんでもないし、
この出来事をもって母という人を一言で語れるもんでもない。
なのにこれからも僕は母のことを思い浮かべるたびに
このことを合わせて思い出すことが多いのだと思う。
一番最後の最後まで、心に残る思い出なのかもしれない。