東京タワー

今度の日曜は2人とも暇で、だったらどこかに行こうかという話になる。
メールをいくつかと、電話を1回。
僕にはこれと言って行きたい場所もなかったし、彼女にもなかった。
服を買うとか映画を見るとか、
お互いいつのまにか行きたい場所は1人で行くようになっていた。
僕は中央線沿いに住んでいて、彼女は横須賀線で鎌倉よりも先。
会うとしても月に1度か2度。
微妙な距離の遠さは結局のところ縮まることはなかった。


「東京タワー」と彼女は言う。「見たことない」
地方出身の人は小さいときに修学旅行で訪れたり、上京した際にわざわざ見に行ったりする。
しかし東京育ちだと、・・・という話はよく聞く。
それは神奈川に住んでいても同じなのかもしれない。
というか埼玉、千葉、神奈川といった電車ですぐ東京に行ける範囲の人たちって
東京タワーほとんど行ったことないのではないか?そんなふうに考えた。


昼過ぎ。15時。JRの浜松町の駅で待ち合わせる。
2人とも揃って10分ぐらい遅れる。僕の方がちょっと遅かった。
彼女はタバコを吸い始めたところだった。吸い終わるのを待った。
そんなに急いでるわけでもないけど、
目的地があるのならばさっさと行きたい性分の僕には
それがひどくのんびりしているように感じられた。
意に介さず、彼女は近くの工事現場を眺めながらゆっくりと煙を吐き出した。
「今日はあったかいね」「春が近いしね」そんな話をした。
浜松町の駅は羽田に向かう人たちが大きなボストンバッグを抱えたり、
スーツケースを転がしていた。
どこかへと旅立つ人たちのことを僕は羨ましく思った。


向こうに聳え立つ東京タワーを目指して歩き始めた。
「どっか別の場所にテレビ塔建てるんでしょ?東京タワーってなくなるの?」
「わかんない。わざわざ取り壊す必要はないし」
「いつまでもあのままだといいね」
そうだね、と僕は言う。
だけど僕にしてみればこの世界に東京タワーがあろうとなかろうと
現実的にあんまり変わらないような気がした。
ココロのどこかで寂しさを感じたとしても。
世の中には、無くなったときにもっと悲しく思うものがいくらでもある。あるはずだ・・・
・・・もちろんそんなことは今、口にしない。めんどくさいから。
替わりにこんなことを言う。
「なくなったら、風景が味気なくなるよね」
「でしょ?」
「うん」


途中に増上寺という大きな寺があって、門をくぐって中を歩く。
参拝客がちらほらと歩いていた。
ハトの群れが地面の上の何かをついばんでいる。ふとした瞬間に一斉に飛び立つ。
青空。
東京タワーの赤と白の鉄骨がやけに眩しく感じられた。
立ち止まって眺めた。
彼女は鞄の中からデジカメを取り出して、
時間をかけてアングルを決めると、シャッターを押す。
「いい写真が撮れた」
「見せてよ」
「後で。行こうよ」
カメラを鞄の中にしまって、彼女はもう歩き出している。


プリンスホテルの前を通り過ぎる。大通りを渡る。
到着。見上げてみる。
「わーっ」と言いながら彼女は動こうとしない。
「すごいよ、ねえ」
ああ、すごいね。僕もそう思う。
このタワーを作るために大勢の人たちが関わって、それ以上に多くの人たちがここを訪れて。
そういう歴史。できたのは昭和33年だったか。長いような短いような、歴史。
その重みが無言で今、目の前に。
僕はそんなことを考えた。
彼女は何を、考えているのだろう?


「けっこうするね」なんて言いながら、入場券を買ってエレベーターの中へ。
上昇を始める。制服を着た女性が観光客に向かって、タワーの案内を始める。
目の前には東京湾・お台場の光景。見る見る間に変わっていく。
ものすごく高いところから眺めると、東京は全然違う。


1つ目の展望台へ。
ぶらっと一周する。霞ヶ関方面。横浜方面。
富士山は、・・・見えない。遠くのあれがそうだろうか?
アジアだったりヨーロッパだったり。
外国から来た人たちがあちこち指差しあって何かを大声で叫んでいる。
写真を撮ってくれと身振りで頼まれて、僕は少し離れたところに立ち、
韓国か中国から来た家族全員が納まるようにフレームを決めて、
こういうとき、なんて言うべきかわからなくて無言でシャッターを押した。
彼女の姿が見当たらなくて、探す。
デジカメで遠く向こうの風景を撮っていた。
隣に立つ。どこまでもどこまでも果てしなく建物が連なっている。
東京のとてつもない広さ、大きさにほんの少し怖くなる。


最上階の展望台へと上がる。
「高いね」
「うん、高いね」
17時を過ぎて、夕暮れが近付いていた。
東京を覆う、うっすらとしたオレンジの光。
それが一周した後にはまた輝きを増していた。
「眩しい」彼女は両手でひさしを作る。
「東京ってこんななんだね」
僕は何も言わない。
ただ、隣に立って、彼女の目に映るものを僕も眺める。
東京の全てが、光の中で溶けてしまいそうになる。
そんな錯覚に僕はとらわれた。
思わず僕は「消えていく」と呟いていた。小さな声で。
彼女は僕の方を見て、「え?なんて言ったの?」と聞いた。
「・・・なんでもない」と僕は答える。
「ねえ?」
彼女はポツンとした声で囁いた。


そろそろ下りようか、と言って僕は歩き出した。
ガラスの向こうの東京に背を向ける。
わずかばかり歩いた。
そして立ち止まった。


振り向くと彼女はまだそこに立っていた。
僕は彼女を待った。
彼女は動き出そうとしなかった。
彼女は僕を見つめていた。
僕も彼女を、見つめていた。