あと1年しか残されてなかったら

以前こんなニュースを目にした。
イギリスだったか。誤診かなんかで余命1年とされた男性が
「だったら」と豪勢に遊び歩いて貯蓄を全部使い果たして
すっからかんになった1年後、「いや、あの診断は間違いでした」と・・・
本人にとってはとんだ「災難」だし、笑うわけにはいかないんだけど、
これ僕としてはいい話だなあと思った。


もう半年近く前のニュースか?
なんとなく今思い出した。そんで考える。
もし僕があと1年しか生きられないとしたらどうするだろうか?
残念なことに1年間遊んで暮らせるほどの財産はない。
ここでいう「遊ぶ」とは豪華客船による世界一周クルーズを指すのではなく、
毎日映画を見に行ったりたまには友人と飲んだりといったレベル。
それだとしても不可。
「あと1年しか生きられないから働かなくてもいいようにお金くれ」
とはさすがに親に対して言えない。
余命1年だとしても僕は日々食っていくためになんらか働かなくてはならない。
そうなると「何をするか?」っていう質問にはあんまり意味がなくて
結局はCDやDVDを買って、時々なんかうまいものを食いに行って、
お金に余裕が生まれたら海外旅行に行くという、今の生活と何も変わらない。
最後の2・3ヶ月だけ、ようやく何もせずプラプラし始めるか。


じゃあその2・3ヶ月で何したいかって言っても
発想が貧困なのかたいしたことが思い浮かばない。やはり海外旅行ぐらい。
それまでの人生でお世話になった人、何人かに会いに行く。
それはあくまで何人かであって
十何年も会ってない人全員に会いに行くってことまではする気がない。
日々飲んだくれてるんだろうなあ。
ああ、俺はあと1ヶ月で死ぬのか。あと1週間で死ぬのか。
カウントダウンしながら。


この1年で何かを残そうという気持ちはあんまりない。
形のあるものだろうとなかろうと。
黒澤明の名作に「生きる」ってあるじゃないですか。
余命短い主人公は人生の最後の最後、町に小さな公園を作ろうと奔走する。
見てると感動して「俺もああいうことしなくちゃ」と思うんだけど、
いざ自分のこととなると、ああいうのたぶんしない。


淡々と身辺整理してくんだろうな。本を人にあげて、CDを人にあげて・・・
なんにもなくなった部屋に1人ポツンといて、「ああ明日死ぬのか」っていう。
布団を敷いて、電気のコードを引っ張って、部屋が暗くなって。
誰にともなく「おやすみなさい」と呟いて。
たぶん泥酔してるだろうから、横になればすぐ眠れる。
そして、それっきり。


なんかそれも悪くないな、と思った。
どうせいつか人は死ぬ。だったら僕はこういう死に方をしたい。
残り1年だと知ってようと知ってまいと。