文化の日

休日出勤。思ったよりはかどって、だけどぐったり疲れきって、夕方会社を出る。
16時。家に帰ったところですることもない。かといってまっすぐ帰りたくもない。
こんなとき、ふと、無性に歩きたくなる。
芝浦のオフィスを出てゆりかもめ沿いに歩いて銀座まで。
1時間ぐらいかかっただろうか。たいした距離じゃない。
歩きながらあれこれ取り留めのないことを考えた。
答えが出かかったものもあれば、途方にくれる意外にないものもあった。
夕暮。波止場沿いの歩道を歩く人も少なく。


汐留シオサイトの WAVE で CD を眺める。
実際に買うことはないんだけど雰囲気がよくて
客先で会議を終えて1人、
オフィスに戻らなければならないときはよくここに立ち寄る。


そのまま歩いて銀座へ。
デモ行進が行われていた。
海外派兵反対だっただろうか。そういうことをシュプレヒコールとして、呟いていた。
なんだか活気のないデモだった。後ろのほうは立ち止まって世間話をしているような。
文化の日ってことで日比谷野外音楽堂にて抗議集会だったか決起集会を行ったのだそうな。
そうか、今日は文化の日だったのか。
母校は今、学園祭なんだろうなってことを思い出す。


銀座数寄屋橋HMV で CD を買いたくなる。
鬱屈した気分を晴らすために。
Foo Fighters の新作が目に留まる。ふらっと買いたくなる。今、聞いてる。
いいんじゃないの?と思う。素直にかっこいい。
なんてことない普通のアメリカン・ロック。
だけど嘘のない、ロック。
こういうのを今、僕の心と体は求めてるんだろうな。
Foo Fighters を聞くのは実はこれが初めてだったりする。


よく書くことだけど、
高2の青森の雪に閉ざされた冬、リアルタイムに Nirvana に出会って、
大学進学のために上京した19歳の春、カート・コバーンの死のニュースを聞いた。
虚ろな気持ちになった。僕は目を閉じて、乗っていた車のシートに深く沈みこんだ。
なんでそんな簡単に人は死ねるのだろう?
なんでそんな簡単に追い詰められてしまうのだろう?

そんな僕にとって Foo Fighters ってのは
どうしても真正面から向き合うことのできない対象だった。
いくら「いい」と言われたところで、Nirvana とは全く違うと言われたところで、
手に取ることができない、心を開けない、そんなバンドだった。
僕みたいな人、まだ結構いるのではないか。


帰りの電車で眠くなる。
頑張って耐える。なんとか起きていようとする。
夜眠れなくなっても辛いだけだから。


Foo Fighters を聞く。
凡百のアメリカン・ロックバンドと隔てている何かがそこに息巻いているのを感じる。
確かにそこにある。
リアル。
欲しいものを勝ち取ったロック。