そういえばもう何年も図書館に足を踏み入れてないな、と思う。
社会人になってからは1度もないはず。
そういう人って多いのでは?
自分の住んでいる地域のどこにどんな図書館があるのかって、
利用者以外普通知らない。
いちいち本を買わずに借りて読むようにしたら安上がりなんだろうけど、
新品を読みたいし、読み終えたら手元に置いておきたいし。
本好きなのは相変わらずとはいえ、僕自身は図書館を訪れることが全くもってなくなった。
図書館の機能として、絶版になって書店では入手できない本を探すというのもあるけど、
Amazonのマーケットプレイスで検索して買えるようになるとそっちの方が便利で。
そもそも大学院生だった当時ですら、大学の図書館に足を踏み入れたことが数回しかない。
ありえないですよね。
気になる本は全部買ってた。今思うとどこにそんなお金があったのだろう?
バイト代の大半が本に消えていたように思う。
ロシアから輸入されてきた書籍なんかも、専門の書店で購入していた。
というか、図書館にしかないような古くて深い情報を参考にすることのなかった
僕の大学院生時代はものすごく薄っぺらいものだった。
小学生の頃は毎週欠かさず、図書館に通っていた。
土曜の午後はバスに乗って青森市街の耳鼻科に通院。
これがまたとんでもなく混んでいる病院で、
13時に診察券を出しても呼ばれるのは早くて17時という。
その間、図書館で過ごす。
青森県営の図書館が県庁の裏手にあった。
県営の病院がその横にあって、今はどちらもなくなって「青い森公園」となっている。
今は確かものすごく外れの方だったか。
2階に児童室があってそこで何時間か読んで、何冊か読んで。
そのとき児童文学全集を片っぱしから読んでいた、ならばいい子なんだろうけど
僕がもっぱら借りてたのは
空飛ぶ円盤とか四次元とか超常現象とかの子供向けシリーズもの。
小説を読むにしても、SFっぽいやつ。
後は漫画。「のらくろ」全集が置いてあったので、毎週欠かさず読んでいた。
中学生になってから全然足を踏み入れなくなった。
高校も、そう。1年に片手で数えられたらいい方か。
母校の先輩だというのに、寺山修司の扱いが小さかったことだけを覚えている。
触れたくない恥部、のような。
例えば、公の場ではキャバレーについて語りたくない、というような。
なので図書室や図書館で勉強するという習慣もない。
向かい合って勉強したとか、いつも端の席に座っている女の子が気になるとか
青春時代の甘酸っぱい思い出は皆無。
・・・基本的に図書館は本だけあればいい。
-
- -
ボルヘスの「バベルの図書館」がこの世に実在したら。
しかも個人用に。
だったらその中で永遠に迷い続けて、本の中で朽ち果てたいとは思う。
たった1冊の僕が探し続ける本がどこまで階段を上っても見つからず、
そしていつの日か年老いた自分は探していたものが何だったのかを忘れてしまって、
ただひたすら来る日も来る日もらせん階段を上り続ける。
図書館とは、知の迷宮であるべきだ。