青森帰省再び その2

7時前に目が覚める。母は既に台所仕事を始めている。
8時に起こされて朝食。目玉焼き、ハム、サラダなど。ごはんは少なめにする。
NHK をつけると四季折々の街の風景を切り取る番組なのか
国立の桜並木が取り上げられていて
その中でもケーキとコーヒーの店「白十字」がクローズアップされていた。
看板のおばあさん(というか見た目的には元気で上品なおばちゃん)は
50年店頭に立ち続けているのだという。
国立音大で声楽を学んで、卒業の頃店のご主人に見初められて結婚。
その後息子が後を継いだ。
ケーキは興味ないので「白十字」には一度も入ったことがないのだが、
見ててなかなかいい話だった。
今も桜の時期は当時の音楽仲間を中心に大勢2階に集まって皆で歌っている。
その後『趣味の園芸』を見て、家中に掃除機をかけた。


9時半前に、家を出る。
近くの空き地に土筆がたくさん生えていた。
そういえば昨日は車に乗っていてふきのとうをたくさん見かけたな。
東部営業所行きのバスに乗って青森駅前へ。古川ではなく駅西口で下りる。
ラビナの通りのイタトマJr.に入って、
ノートPCを広げてチームラウンジに師範代宛のメールを送る。
今日もまた暑い日で、初夏のよう。
青森の最高気温が26℃で夏日(一方東京は24℃)。
夜は日が落ちて寒くなるからとコートを着てきたが、コインロッカーに預ける。


昼、駅前の「帆立小屋」へ。
昨年夏に引き続き、ホタテ釣りを試す。
1回500円で釣れなくてもホタテ2枚というのは値下げしているか。
昨年コツを掴んだので3分で5枚釣れた。どんどん釣り上げる。
半分をにぎりに、半分をテーブル席のバーナーで焼いて食べる。
貝殻のホタテが煮立つと醤油をかけてひっくり返す。
他にホタテフライと生姜味噌おでん。生ビールと田酒。


すぐ裏の「ワ・ラッセ」でねぶたを見る。
ここも昨年夏母と一緒に入った。
並べられているねぶたは昨年と一緒だった。
隅の方のスペースにて市役所の同好会の方たちが
笛に鉦に太鼓、ねぶた囃子を披露する。
さあ皆さんハネトを体験してみましょうと跳ね方のレクチャーが始まって
その場で皆が右に左に体をよじりながら右足左足右足左足と飛び跳ねる。


出口付近にて第5代名人:千葉作龍、第6代名人:北村隆を初めとする
最近のねぶた師がひとりひとり紹介されていた。
自分よりもだいぶ年上のイメージがあったけど、若い人だと30代も結構いた。
ボランティアガイドの方に聞くと
このところ毎年一人ずつデビューしているのだとか。
そう、あの大型ねぶたを30代の若者が作っているんですね。
(もちろん一人で作るわけではなくて、
 原画を描いてから先は多くの人の関わる共同作業となる)
例えば北村隆の娘、北村麻子。
初めての女性のねぶた師とのことで今、注目の人。
これまで男たちのつくってきた女性はおたふくのようで美しくない。
私は一人の女として美しい女性を描きたいという。
去年のねぶたの写真を見せてもらうと確かに雰囲気が違った。
匂い立つようなものがある。
ああ、歴史とはこんなふうに変わっていくものなんだなと思った。


他に北村隆の双子の弟:北村蓮明の息子、北村俊一であるとか。
彼は若いねぶた師が独立して食べていけるように
音頭を取って販売用の凧絵づくりを進めているのだという。
ガイドの方がこっそり解説してくれる。
ねぶた一台つくるのに製作費用が400万から500万。
そのうちねぶた師に入ってくるのが150万から200万。
1年に3台作ってようやくサラリーマンと同じぐらいの年収となる。
しかし3台作っているのも青森で3人ほど。
他のねぶた師たちがどうやって食べているのか、
という話となるとゴニョゴニョと。


戦前はドラム缶の上に今の1/8ぐらいのサイズのをこしらえて担いだ、
それは今と違って手もドラえもんのように丸まっていたとか
完成したあとは当日引いて回る企業や団体に引き渡すけど
その受け入れ係りの人も結団式があったりねぶた小屋の食事の手配があったりで
何かと大変だとか、そういう話も聞く。
昨年運行されたねぶたを取り壊す前に切り取った和紙を
桜の花びらの形にくりぬいたものを栞にしたものをもらう。


入口付近に復興支援のため山形で運行されるねぶたを皆で手作りしているとあって、
僕も壁の裏側に当たる部分の一枠を手伝った。
針金の枠に歯ブラシで白いボンドを塗ってそこに和紙を貼り、
余った部分をカッターで切った。
一仕事終えると冷たいものが欲しくなり、ソフトクリームを買って食べた。
レジのところに置いてあった『青森たび歩きの達人』という
地元青森で発行されたガイドブックを買う。