前回も書いたようにブライアン・イーノと言えばまずはアンビエントなんですけど、
パンクとのつながりも深いんですよね。
この両極端を行き来できるのが彼の強みであり、面白さです。
有名なのはニューヨークパンクを世に知らしめたコンピレーション『No New York』
James Chance & the Contortions / Teenage jesus & Jerks (Lydia Lunch) /
Mars / D.N.A. (Arto Lindsay) の4組を取りあげ、4曲ずつ。
発表は1978年と、ムーヴメントの立ち上がった瞬間からは遅れたものの
ノイジーでキンキンに尖った非音楽的音楽、非ロック的ロックは
日本のアンダーグラウンドなロックシーンにも大きな影響をもたらしました。
輸入盤を手に入れることのできた若者が地下の喫茶店でこれを大音量でかけるという。
そこから日本のパンクが生まれていきました。
Ramones や Sex Pistols だけじゃないんですね。
ここでのブライアン・イーノは一応プロデューサーとはなってますが、
恐らく音楽的な貢献はゼロだったんじゃないかと。
シンセサイザーを弾いてループを作るといった演奏は皆無。
彼ら、彼女たちの演奏を瞬間パックできたらそれ以上のものは何もいらない。
一歩引いた立場から傍観者的に立ち会って「紹介」するだけ。
でもこの探し出すセンスが感度高いのですね。
ブライアン・イーノのプロデュースというと時々そういうのがあります。
(他にも Penguin Cafe Orchestra の1枚目など)
以後、アメリカ、イギリスのパンク、ニューウェーヴと深く関わっていきます。
他に有名なところでは DEVO の1枚目(1978)。
前々回の欧米のパンクでも取り上げましたが。
Devo - [I Can't Get No] Satisfaction (Video)
https://www.youtube.com/watch?v=jadvt7CbH1o
ここでもブライアン・イーノは恐らくほとんど何もしてないんじゃないかと。
揃いの衣装とか機械的な振り付けなどの
アートスクール由来のコンセプトも元からあっただろうし。
なお、当初デヴィッド・ボウイがプロデューサーとなる予定だったのだとか。
それが降板となって付き合いの深いブライアン・イーノに回ってきたんでしょうね。
予定通りデヴィッド・ボウイだったら、よりデカダンで退廃的な音になったんじゃないかな。
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パンク、ニューウェーブで以外とこの辺りプロデュースしてた、
というと Ultravox の1枚目(1977)。
4枚目以後。ミッジ・ユーロが加入してからのエレポップ路線で大ヒットしましたが、
最初の3枚の内省的でいじけたニューウェーヴも捨てがたいですね。
Ultravox - "My Sex"
https://www.youtube.com/watch?v=JUWdqBtD2aI
Ultravox はその後2枚目が後に XTC や U2 を手掛けて
ギターロックの大御所となるスティーヴ・リリーホワイト、
3枚目がドイツでエンジニアとして有名だったコニー・プランクを迎えています。
プロデューサーから学んで成長していくことができたバンドですね。
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DEVO や Ultravox は単発ですが、そこにケミストリーが生まれると
ブライアン・イーノは続けて何作か、
プロデューサーとしてコラボレーションすることがあります。
有名なところでは Talking Heads や U2 、最近だと Coldplay など。
Talking Heads についてはイベントでも紹介しますが、
始まりは2枚目の『More Songs About Buildings and Food』(1978)
最後に収録されたアル・グリーンのカバー「Take Me to the River」が脚光を浴びて
彼らはニューヨークパンクから1歩外へ踏み出したのでした。
Talking Heads - Take Me To The River (HQ)
https://www.youtube.com/watch?v=6ar2VHW1i2w