ある人から聞いた話

ある人から聞いた話。


その人は夜、会社から帰って来て着替えると
いつものようにコンビニに出掛けたのだそうだ。
アパートから歩いて5分ぐらいのところにあるセブンイレブン
漫画の雑誌を何冊か立ち読みして、
牛乳のパックだとか詰め替え用シャンプーだとかそういうものを買って外に出た。


バス停の前を通りかかると誰かが立っている。
顔を上げてチラッと眺める。
年老いた小柄な女性。
細かなフリルのゴテゴテついた白いブラウスを着ている。
胸元には赤いリボンで飾りがついている。
真っ赤なスカート。肩の先まで伸びた長い長い髪。手には何も持っていない。
「なんやけったいなおばはんやなあ」とその人は思ったのだそうだ。
まるで人形のよう。目が青くて髪が茶色いアンティーク・ドール
なのにその年老いた女性の顔はどこをどう見ても日本人形のそれであって、
そのちぐはぐ感が「妙に印象残った」のだそうだ。


その女性の側を通り過ぎる。無意識のうちに息を止めている。
バス停から10m以上離れたところまで来て、初めて大きく息をする。
バスがすぐ横を走り抜ける。
女性のことが気になって仕方がなく、
乗ってったはずだと思い、そっと振り向くとまだ立っている。
ポツンと1人寂しく立っている。


気にしないでいよう、と思う。とにかく意識しないこと。
早足にすると怖がってるみたいだから、いつもより遅いぐらいのペースでゆっくりと歩く。
いくつもの家の前を、街灯の下を歩く。
角を曲がり、もう1つ曲がる。


曲がるときにふと立ち止まってみる。
恐る恐る首を後ろに回すと視界の隅に映ったのは
のろのろと歩いている老女の姿。
白いブラウス、赤いスカート。


「!!」
心の中で叫ぶ。
だけど声には出さない。出したくなるのをぐっとこらえる。
そこから先は走るようにアパートまで。
階段を駆け上がってバタンとドアを閉じると鍵を掛ける。


生きた心地がしない。
テレビをつける。音を大きくする。
コーヒーを飲んで煙草を吸う。
冷蔵庫にあった缶ビールを何本も開ける。


夜も更けてベッドの中に入る。
だけど眠ろうとしても眠れない。
あの老女は自分と何のかかわりがあるというのか?
自分が何をしたっていうのか?


ようやくうつらうつらできたのは明け方。
ちっとも眠れなかったので会社を休みたかったのであるが、
自分が企画した大事なプレゼンがあったので出ないわけには行かない。
シャワーを浴びた後スーツに着替えて外に出る。
ドアを開けると



老女が立っていた。



階段の下に。1人ポツンと。


息が止まりそうになる。眩暈がする。
会社、休もうかと思う。ドアに鍵をかけて閉じこもる。
一瞬の間に「そうしよう」「いや、だめだ」心の中で行ったり来たりする。
やがて覚悟が決まる。意を決して階段を下りていく。


老女の側を通り過ぎるとピクリとも動かなかった。
通り過ぎるとそのまま歩き去った。
今度は振り向いたりなどしない。
手が震え、背中に汗が噴き出しても絶対振り返らない。
いつもの朝のように駅へと向かった。


その日の分の仕事をなんとか終えて退社時間になる。
どうしようかと思う。
アパートに帰るべきか、それとも2・3日は戻らないべきか。
友達の家に泊めてもらうなんなりして。
そういう選択肢もある。
でもそれはよくないことだと彼は考える。
逃げてたらいつまでたっても解決しない。
ぶつかってみないことには前にも後ろにも進まない。


駅で降りて歩き始める。
例のバス停の前。・・・いない。これで1つチェックポイントを通過。
角を曲がる。・・・やはりいない。これで2つ目。
次の角を曲がる。・・・ここにもいない。3つ目。


アパートの前。心臓がドクドク波打つ。鞄を掴んでいる右手の握力がなくなる。
恐る恐る敷地の中に入っていく。


老女はいなかった。


ほっとする。
何の変哲もないいつも通りのアパート。
階段を上っていく。鍵を取り出してドアを開ける。
開けたら老女がいるんじゃないかっていう
ホラーな展開も考えなくはなかったが、そんなことはなかった。
だけど押入れの隅にいるんじゃないかとソワソワした気持ちがどうしてもするので
部屋のあちこちを確かめてみた。
おかしなところは何もなかった。


それから2・3日過ごす。
何も起こらず。老女の姿を見かけることはない。
もしかしたらどこかでまた見かけるのではないかということがたまらなく怖い。
とりあえず夜出歩くのはやめ、コンビニは駅前のを利用することにした。


幽霊だったのか、単なる頭のおかしい人だったのかはよくわからない。
あの朝誰かに連れて行かれたのか、それとも自発的に立ち去ったのかは分からない。
いなくなったのだとしたらどこに「帰った」のだろう?
「彼女には彼女なりのエリアがあって、そこに俺、立ち入ってしまったんやろな」
と彼は言う。


1つだけ気になったことがあったので僕は彼に質問をする。
「その人の目、見ました?××さんのこと見ました?」
彼は答えて曰く、
「見ぃひんかった。つうか目ぇずっと伏せとったままだったわ。
 これが目をマジマジと見られてたんなら
 今頃はこの俺もどっか行ってしまうところだった」


ネタにしてほしい話があるというので会いに行った。
2人で夜、ジョッキでビールを飲みながら聞いたのが、以上の出来事である。